「現代のベートーベン」佐村河内守がブーム 「Nスペ」で特集、音楽総合チャート2位に急浮上

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   両耳の聴力を失った作曲家、佐村河内守(さむらごうち・まもる)さんに注目が集まっている。2011年7月に発売された「交響曲第1番《HIROSHIMA》」は、クラシックとしては異例の累計出荷枚数12万枚を突破した。

   NHKの番組では佐村河内さんの創作現場に密着。ごう音のような耳鳴りと戦いながら曲作りに励む壮絶な様子が放映された。

「みなさんが幸せになれるように曲を書いている」

佐村河内守さん(写真提供:日本コロムビア)
佐村河内守さん(写真提供:日本コロムビア)

   現在49歳の佐村河内さんは14年前、両耳が全く聞こえなくなった。原因不明の病気だという。幼いころからピアノの「英才教育」を受け、作曲家の道を志していたなかで、言わばどん底に叩き落とされてしまった。2013年3月31日放送のNHKスペシャルでは、佐村河内さんのこれまでの歩みや、病と闘いながらも創作を続ける日々を映し出した。

   四六時中襲いかかる「ごう音耳鳴り」のため、日常生活にも支障をきたす。大量の薬を服用してしのぎながら、自宅の作業部屋にこもり、精神を集中させて頭の中で曲を描く。聴力が失われた佐村河内さんにとって、多くの楽器で演奏される交響曲を作曲するうえでの頼りは、自身がもつ絶対音感と過去に聞いた楽器の音色だ。例えば記憶に残っているトロンボーンの音を思い浮かべながら数小節のメロディーを浮かべる。その後でトランペットほかの管楽器で旋律を考え、先のトロンボーンに重ねる。木管楽器、弦楽器も同じように作業を続けて複雑なメロディーを組む。これを何度も繰り返して曲が完成するというわけだ。

   作曲の際にも絶えず耳鳴りが邪魔をする。その「雑音」のすき間をぬって「降りてくる音を自らつかみ取る」と本人は話す。番組では、苦しみのあまりベッドから起き上がれない姿や、作業の追い込みのため薬を服用し、その影響で歩けないにもかかわらず這いつくばって机に向かうシーンが流された。東日本大震災の犠牲者や被災者のために鎮魂歌をつくろうと、氷点下の夜中の海岸に何時間も立ちつくす。命懸けで創作に臨む迫力はすさまじい。

   佐村河内さんは海外メディアでもかつて紹介されている。米誌「タイム」が2001年9月15日付の記事で特集していた。当時、ゲームソフトの音楽を担当して脚光を浴びていた半面、聴力はなくしていた。取材に対して「自分でつくった曲の演奏を聞けないのは最も悲しい。でも、私は自分のためではなくみなさんが幸せになれるように曲を書いているのです」と語っている。

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