東京株式市場の日経平均株価をわずか1日半で最大800円超押し上げ、円相場を1ドル92円台から97円台へ、5円も急落させた。長期金利も過去最低水準を一時更新した。
これらのきっかけは、すべて日本銀行が2013年4月4日昼に発表した「量的・質的金融緩和」にある。「異次元の緩和策」、「黒田マジック」と呼び、熱狂。そんな市場を「演出」した日銀の黒田東彦総裁とはどのような人物なのだろうか――。
新たな金融緩和策はほぼ全員一致で決めた
黒田日銀が新たに打ち出した「量的・質的金融緩和」は、金融調節の操作目標をこれまでの「無担保コールレート翌日物」から、「マネタリーベース」(資金供給量)への変更と、長期国債に加えて、上場投資信託(ETF)などのリスク資産の購入拡大にある。デフレ脱却に向け、「2%の物価上昇率目標を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」(黒田総裁)、大胆な金融緩和策だ。
資金供給量を、年間60~70兆円に相当するペースで増加。12年末の138兆円を、13年末には200兆円、14年末には270兆円まで拡大する。長期国債やETFの保有額は、2年間で2倍に拡大するとした。
市場に大量の資金を流し込み、金利を引き下げ、景気を下支えする狙いがある。日銀は声明文で、「量・質ともに次元の違う金融緩和を行う」と宣言した。
注目されたのは、日銀が新たな金融緩和策をほぼ全員一致で決めたことだ。
経済アナリストの小田切尚登氏は、「日銀が国債の買い入れ額を増やせば、円安・株高が進むことはわかっていました。ただ、白川(方明)前総裁のような学者肌の人には、その考えはたんに1980年代後半のバブル経済を起こすだけになりかねないので、容易に受け入れられなかったわけです。今でも日銀内部やマクロ経済学者のあいだでは黒田総裁の手法を懐疑的にみる向きは少なくありません」という。
そのため、4日の金融政策決定会合でも、黒田総裁が委員をうまくまとめることができるか、懸念されていた。ところがフタを開けてみれば、黒田総裁が「腕力」を見せつけ、日銀はすでに「黒田色」で染まっていた。
小田切氏は、「とにかく、金額の大きさと(全員一致という)黒田総裁の手腕には驚きました。デフレに果敢に挑戦する姿勢が海外からも評価されたようです」と話す。
愛称は「クロトン」、デフレの責任は「日銀にある」が持論
そもそも、黒田総裁とはどんな人物なのだろう――。
生まれは福岡県大牟田市の68歳。報道によると、愛称は「クロトン」。議論などに熱が入ると止まらなくなるほどの、おしゃべりという。
東京大学法学部在学中に司法試験合格。大蔵省(現・財務相)に入省した後、英オックスフォード大学に留学し、経済学を学んだ。同省では本流とされる主計畑ではなく、主に主税畑と国際金融畑でキャリアを積んだ。1999年から退官するまでの、異例の3年半にわたって財務官を務め、金融政策にも精通する。
学究肌の官僚で哲学書なども読みこなし、著書も多い。退官後には一橋大学大学院教授を経て、2005年にアジア開発銀行(ADB)総裁に就任。約8年間、ADBの本部のあるフィリピンのマニラで暮らした。抜群の英語力で、海外人脈も豊富という。
日銀の金融緩和姿勢には財務省時代から批判的で、財務官だった02年には、英フィナンシャル・タイムズに「日銀は物価上昇率の目標を設定すべき」との論文を寄稿。また、円高対策として為替介入にも積極的だった。
その間、日本が15年にわたりデフレに陥っているのは「日銀の責任」と、言い続けてきたこともある。