「人種差別的なことを受けて生活できなくなり帰国しました」――。スロバキアでプレーしていたサッカーの中村祐輝選手が2013年1月30日にブログでこう明かした。
観客から鬼の形相で名前を呼ばれ、中指を立てられたり、所属チームに脅迫のようなものが届いたりといったことがあったという。
J-CASTニュースでは、現在ハンガリーでトライアルに挑戦中の中村選手に話を聞いた。
「この時代にそんなことするか?って思うことがたくさんありました」
中村選手が所属していたのは、スロバキア南部の町を拠点とする2部リーグのMSKリマフスカ・ソバタだ。2012年7月下旬に移籍、背番号は10番を与えられた。しかし9月初めには日本に戻っていた。わずか1か月の間に何があったのか。
2013年1月31日、J-CASTニュースが中村選手に話を聞くと、移籍直後から問題があったと明かした。最初の試合終了後、サポーターと選手がハイタッチしていくところで中村選手だけがのぞかれた。そして、一部のサポーターによるバッシングがエスカレートしていった。その様子をこうブログに書いている。
「この時代にそんなことするか?って思うことがたくさんありました。試合前、後にはサポーターから鬼の形相で自分の名前だけ叫ばれて、中指を立てられ。。。(…)チームに脅迫みたいなものが来てしまい責任を持てないからということで帰国してきました!!」
以前から人種差別的なサポーターがいて、中村選手の前にフォワードをしていた、ベトナム人とスロバキア人とのハーフの選手は2得点しても、まったく認められないことがあったそうだ。
ただ、これはあくまで一部だと中村選手は強調した。実際、チームの公式フェイスブックでは、リーグ戦中の8月8日の「4試合を終えて、Nakamuru(編注:中村の打ち間違いか)をどう思いますか?」との質問に対して、「すごくよく見えるけど、一部のファンと審判たちはそうじゃないみたいだね。彼らは人種差別主義者だ」「一部のサポーターは批判的過ぎると思う。キックオフの前に何が出来るって言うのよ…」との書き込みがある。
「若い選手が多いチームだったので、外国人との付き合い方が分からなかったのだろう」
また、チームメイトや監督との関係についてはこう話した。
唯一の外国人と言うことで、言葉の壁もあり結果として孤立してしまった。ただ、監督は自分を使おうとしてくれていたと思うし、若い選手が多いチームだったので、外国人との付き合い方が分からなかったのかもしれない。悩みを打ち明け、食事を共にできる人も1人だがいた。
ただ、チェコでプレーしていたときは、チームに8か国の選手がいてが、みな仲良くやっていたという。
そして、一部のサポーターからのバッシングがエスカレートした原因として、勝てなかったことを挙げた。貧乏チームで唯一の外国人に、不満の矛先が向いたのではないか、というのだ。チームのリーグ順位は現在下から3番目に低迷している。
帰国後、一時サッカーに疲れ、やめることも考えた。しかし、友人や家族の後押しを受けて、現在はハンガリー2部リーグのクラブのトライアルに挑戦中という。
中村選手は1987年生まれ。中学2年生時に清水エスパルスのジュニアユースに入団。国士舘大学卒業後にルーマニアへわたり、2部リーグCFRクライオバを経て、2012年にチェコ・ガンブリヌス・リーガのFKヴィクトリア・ジジュコフでプレーした。保有権は同チームに残されたまま、MSKリマフスカ・ソバタにレンタル移籍していた。