「これを読まずにすごせば、生きている意味の大半を見失いかねない」
早稲田文学選考委員として「abさんご」を新人賞に決めた東大元総長でフランス文学者の蓮実重彦氏は、選評でこう激賞している。
「奇跡というべきだろうか、一篇だけ、『ため息』をもらさずに読み終えることなどとてもできない作品がしたたかにまぎれこんでおり、その作品をみたしている言葉遣いと語りの呼吸にはとめどもなく心を動かされた。」
「『固有名詞』やそれを受ける『代名詞』もいっさい使わずに、日本語で何が書け、何が語れるか。『個性』的な黒田夏子が直面するのは、おそらくこれまでいかなる作家も見すえることのなかった言語的な現実である。」
「誰もが親しんでいる書き方とはいくぶん異なっているというだけの理由でこれを読まずにすごせば、人は生きていることの意味の大半を見失いかねない。」
黒田さんは読売新聞の1月22日付朝刊で読売短編小説賞を「毬」で受けた50年前を振り返り、こうつづっている。
「タミエ(「毬」の主人公)はどこへ行ったのか、やがて作中の子どもにいかなる名もつかなくなり、作中人物すべてにいかなる名もつかなくなる。」
「タミエがいたころからの五十ねんを多くのぐうぜんにもたすけられながら生きしのいで、いま受賞でき、出版できることを感謝している。」
実験小説とも前衛小説とも称される「abさんご」に挑戦したネットユーザーからは「よく言えば斬新だけど、本好きじゃないと読めないかも」「手強すぎてすぐに白旗揚げました」「もはや古文を呼んでいる感覚」といった声のほか、「ひらがなを脳内で漂わせ漢字に変換しながら…というのは確かに時間はかかるけど、その時間さえ愛おしいような感覚」などの感想が寄せられている。
文藝春秋社発行の「abさんご」は表題作のほか、「毬」「タミエの花」「虹」を併録。この3篇については縦書きなので、前からも後ろからも読めるリバーシブル本となっている。