中央自動車道・笹子トンネル上り線の天井板崩落事故で、下り線の天井板を検査したところ合計670か所で不具合が見つかった。笹子は例外的に多いが、全国でも14か所のトンネルで何らかの問題点が報告されている。
1960年代を中心とした高度経済成長期につくられた道路やトンネルについて、「限界ではないか」との声も上がる。実は今から十数年前、インフラ用のコンクリート建造物が2010年前後に危機を迎えると専門家が警告していた。
コンクリート建造物が一斉に壊れ出すと予告
笹子トンネルで、天井板のつり金具をトンネル上部に固定する「アンカーボルト」の緩みが、実に608か所で発見された。ほかにも腐食による断面欠損が22か所あったという。さらにアンカーボルト付近のコンクリートのひび割れも19か所で、その他すべて合わせると670か所に上る。2012年9月に定期点検が実施された際には、こうした不具合は見落とされていた。
12月13日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)では、下り線のトンネル内部から運び出される天井板を映し出していた。コンクリート部分が相当老朽化している印象で、鉄骨がむき出しになった部分もある。中日本高速道路は会見で、「なぜボルトの緩みが笹子に集中しているのか」との問いに「捜査を受けている段階なので、コメントは控えたい」と詳細を明らかにしなかった。
原因は今のこと断定できるものはないが、コンクリートそのものも劣化しているのではないかと心配になる。実際に、岐阜県と長野県を結ぶ中央道・恵那山トンネル下り線では、8か所でコンクリートのひび割れや剥離が報告されている。国土交通省は「安全上の大きな問題はない」と話しているが、本当だろうか。
今から13年前の1999年、「コンクリートが危ない」(岩波新書)という題名の本が上梓された。旧運輸省に勤務し、東京大学や千葉工業大学教授を務めた小林一輔氏の著書だ。ここでは1983年、ひび割れや剥落が起きた山陽新幹線高架橋や、84年に雨漏りなど大規模トラブルが起きた埼玉県の団地を調査した様子が描かれている。いずれも建設から10年前後しか経過していないにもかかわらず、コンクリートが著しく劣化していたのだ。
小林氏は、ビルやマンション、道路や新幹線の高架橋、ダム、上下水道、さらには原発といったコンクリート構造物が「『ある時期に一斉に壊れ出す』などということが信じられるだろうか」と読者に投げかけ、その時期を「2005~10年頃までにやってくる可能性が高いと考えている」と「予告」していた。
コンクリートの品質が東京五輪を境に低下
コンクリートは基本的に砂や砂利の「骨材」に、水とセメントを混ぜてつくられる。セメントに対する水の比率が違っても硬化するが、水が多いほど強度は低い。またコンクリートは、二酸化炭素によって劣化が進む。中の鉄筋が腐食し、最終的にはコンクリート構造物を崩壊へと導く。
小林氏は調査の結果、道路の橋梁やマンションといったコンクリート建造物の品質が、東京五輪の開かれた1964年を境に変わり、それ以降に建設されたものの寿命が短くなっていると指摘する。
例えば1970~75年に建設された山陽新幹線の場合、コンクリートの材料に海砂が使われた。塩分が含まれているため鉄筋の腐食が早まり、コンクリートの劣化が進むとする。この問題は1983年にNHKで特集されたが、当時の国鉄の担当者は否定していた。さらに、旧日本道路公団が実施した品質調査によると、東名高速道路が開通した1969年までに使われたコンクリートに比べて、1972年以降のものは、砂量が4%、水量が6%増加していた。
小林氏によると、東京五輪後のコンクリートは、良質な骨材が枯渇したためにアルカリ反応性の砕石や多くの塩分を含む海砂などが使われるようになった。海砂は塩分が問題なだけでなく、物理的性質そのものが劣り吸水性が大きいため、多くの水を加えなければならず、必然的にコンクリートの品質が低下するわけだ。
「コンクリートが危ない」の中には、トンネルに特化した議論は見当たらない。だが、笹子トンネルが開通したのは1977年と東京五輪「後」だ。一方、国交省の調査で不具合が見つかった14か所のうち、首都高・羽田トンネルが東京五輪と同じ年、コンクリートのひび割れが見つかった恵那山トンネルは1975年で他のトンネルも東京五輪より前の開通はなかった。これらのトンネルに低品質のコンクリートが使われているとは必ずしも言えないが、検査をすればするほど「異常」が見つかるだけに安心できないのも確かだ。