華原朋美5年半ぶり熱唱に喝采 進化した歌声の裏には「壮絶な活動休止期間」

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「ドアノブなくて外に出られない」閉鎖病棟での生活激白

   翌日6日には、フジテレビ系の情報番組「ノンストップ!」と「知りたがり!」で華原さんの復帰舞台裏が放送された。

   華原さんは1995年、小室哲哉さんのプロデュースでデビュー。日本有線大賞や日本レコード大賞など音楽賞を次々と受賞し、一気にトップまで上り詰めた。

   しかし24歳の時、4年間交際した小室さんと破局、精神が不安定になり病院に通い始める。99年1月に自宅でのガス中毒で病院に搬送され5か月後に復帰したが、その後もドタキャンや、復帰しては休みを繰り返し、ついに2007年6月、所属事務所のプロダクション尾木から解雇されてしまった。

   09年に精神安定剤の大量服用で緊急搬送、10年にはタクシー乗車中に意識もうろうとなり搬送されるなどの問題から、見かねた家族が10年夏に閉鎖病棟に強制入院させた。番組では華原さんが、「いろんな幻覚が見えてしまって大変」「テレビは見られないし、誰とも会話できない。ドアの内側にノブがないから外にも出られない」「ノートとペンを渡され、なぜ薬物に依存してしまったのかなど宿題を出される。そんなのわからないと反抗すると腕を拘束されてしまう。もう戻りたくない」と当時の生活を赤裸々に語った。

   10年中に退院した華原さんは父の住むフィリピンでボランティア活動などを行った。次第に従来の自分を取り戻す中で「もう一度歌手として復帰したい」という気持ちが芽生え、帰国した。日本では兄が経営する高齢者住宅で月数回手伝いをしながら、たばこもやめてボイストレーニングを積んだ。

   そして12年夏、プロダクション尾木の尾木徹社長に「復帰したい、やり直したい」という直筆の手紙と、カラオケボックスで録音した自身の歌声のCDを送った。尾木社長は「心から反省している」「歌での復帰を熱望している」「家族への思いがある」という理由で華原さんを受け入れた。今後の活動についてはまだ何も決まっていないが、歌中心での活動を考えているという。

   「ノンストップ!」では、MCの設楽統さんが「壮絶ですね…」と驚きを隠せない様子だった。お笑いコンビ「たんぽぽ」の白鳥久美子さんは「朋ちゃん世代」だと言い、復帰を本当に喜んでいた。また「知りたがり!」では出演者が口々に「当時より上手い!」と絶賛していた。

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