【Net@総選挙】 第1回
「ネット解禁」の法案、また見送り 選挙はどう変わるはずだったか

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   ここ数年、インターネットを利用した選挙運動の解禁を求める声が高まっている。公選法の改正案も幾度となく提出され、10年の参院選直前には与野党の合意もできていた。だが、今回出も関連法案は審議されず廃案に。提出されていた法案は、どんな法案だったのか。

   米国などに比べ厳しすぎるという日本の選挙のネット規制。法案が成立していれば、選挙はどのように変わっていたのか。足踏みしつつも、ネット選挙解禁に向かう動きを、連載でお伝えする。

民主党は09年のマニフェストに盛り込んでいた

   インターネットを活用した選挙をめぐる議論は1996年、当時の自治省が、ウェブサイトは公職選挙法で配布が制限されている「文書図画」にあたるとの見解を示したのをきっかけに始まった。

   選挙で使える「文書図画」は、はがきやビラ類のみ。種類も枚数も限られる――インターネットが普及する中で、これでいいのか、と野党だった民主党が98年、2001年、04年、06年に解禁を求める法案を提出したものの、いずれも審議未了で廃案になっていた。自民党も05年には改正案の骨子をまとめていたが、動きが本格化してきたのは、ここ数年だ。

   民主党が政権を獲得した09年8月の衆院選では、マニフェスト(政権公約)に

「誹謗中傷の抑制策、『なりすまし』への罰則などを講じつつ、インターネット選挙活動を解禁する」

と明記。当時公開されていた政策集では、具体的な解禁のための手順として、民主党が06年に提出した法案の成立を目指すとしており、

「政党や候補者に加え、第三者もホームページ・ブログ・メール等インターネットのあらゆる形態を使って選挙運動ができるようにします」

とうたっていた。

10年5月には与野党で合意

   10年夏の参院選を前に、さらに動きは加速した。自民党が10年4月の通常国会に提出した法案では、(1)メールアドレスなどの連絡先を表示すれば、候補者本人、政党、第三者がウェブサイトを更新できる(2)事前に承諾を得た人に対しては選挙運動や政治活動用のメールを送ることができる、といった内容が盛り込まれた。有料広告を出すことはできないが、一定の条件を満たせば、いわゆる「ネガティブキャンペーン」も認められる。

   10年5月には、与野党でも合意案がまとまった。その内容は、大枠では「政党と候補者のみを対象に、選挙期間中のウェブサイトが解禁される(第三者は認められない)。メールの利用は引き続き禁止する。ツイッターの利用は合法だが、『自粛』する」というもの。自民党案からは大幅に後退した形だが、自民党は

「自法案にこだわって結局参院選で何も使えないという形になるか、自法案より大幅な後退となるが、少なくとも小さな前進を確保するか、究極の選択を迫られた」(10年5月27日、世耕弘成参院議員のブログ)

と妥協し、解禁は視野に入っていた。ところが、鳩山由紀夫首相(当時)の突然の退陣表明で国会審議がストップ。法案は提出されないまま、参院選に突入してしまった。

大半の議員がアンケートに答えず

   この後、しばらく解禁に向けた動きは停滞していたが、12年6月には、みんなの党が法案を参院に提出している。みんなの党の案では、自民党の法案よりも踏み込んだ内容で、事前の承諾がなくてもメールが送ることができ、有料広告を出すこともできる。政府にインターネットによる投票を検討することも義務づける、という内容も盛り込まれた。

   渡辺喜美代表も、

「選挙にネットが使えなかったというのは、ネットの活用を怖がる守旧派勢力が、強く意向を働かせていたということだろう」

と成立に意気込みを見せていた。

   だが、国会議員のネット選挙に対する関心は、極めて低いのが現状だ。ネット選挙解禁の運動を繰り広げている団体「ワン・ボイス・キャンペーン」が12年5月から8月にかけて、衆参議員712人にネット選挙解禁の是非についてアンケートを配布したところ、回答したのは12.5%にあたる90人。この90人のうち69人が賛成で、賛成する人しか調査に見向きせず、大半の議員がネット選挙には無関心な現状が浮き彫りになっている。

   このことが影響したのか、自民党案も「みんなの党」案も審議は進まず、11年11月16日の衆院解散にともなう会期終了で審議未了で廃案になっている。

   だが、12月16日の衆院選でネット選挙が解禁されたかったことへの不満の声は多く、次の国会ではまた議論が起きそうだ。一方で実際の選挙の現場では、すでに法案を先取りするような形でさまざまな「見切り解禁」の動きが出ている。次回以降、そうした動きを追う。

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