「広報いわき」11月号が隣組を通じて各戸に配布された。震災時の情報入手などに関する市民アンケート結果が載っている。無作為抽出の市民を中心に1261人が回答した。あとで市のホームページに掲載された資料をダウンロードして読んでみた(=写真)。
広報紙に載ったのは10項目余の質問からピックアップされた5項目。震災時に(1)どんな情報を必要としたか、なにからそれを入手したか(2)避難したか、いつ避難し、いつ戻ったか――簡単にいえば、「災害情報と避難」の2本立てだ。
必要とした情報を、災害発生から1週間、1週間~1カ月、1カ月~2カ月と、3段階に分けて尋ねた。「原発事故の状況・放射線量」がダントツに多い。しかも、時間がたつほど必要としている人が増えた。次に多かったのが「生活関連」、そして「ライフラインの復旧状況」で、こちらは時間がたつほど減っている。
なにから情報を入手したか――。「テレビ」がどの時点でも90%前後と圧倒的に多い。震災直後は「一般ラジオ」37%、「FMいわき」29%、「新聞」31%で、いわきも津波被害に遭ったとはいえ、多くの住民が住むマチ(内陸部)で電気が通じていたのが、こんな結果になったのだろう。沿岸部に絞った調査ならまた違う結果になったと思われる。
避難の有無では、「した」698人(55%)、「していない」553人(44%)、無回答10人(1%)=広報紙と人数が違っているが、「あとだし」の方が正しいと判断。避難した日は「3月15日」24%がピークで、「3月11日」9%は市内への避難が大半だった。津波被災者が避難したあと、一気に市外へと原発避難が行われた、と読める。
避難から戻った時期は「3月ごろ」50%、「4月ごろ」25%と大多数は2カ月以内に戻っている。
テレビとラジオから情報を入手し、原発建屋の爆発映像を目にして、いわき市民の緊張感、危機感は3月15日にピークに達した。マチに住む人間の一人として、おおよそアンケート通りの行動をとった。ハマ(沿岸部)・マチ(内陸部)・ヤマ(山間部)と分けられるいわき市の広域性を反映した結果だと、つくづく思う。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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