「思い入れは深いが、もう戻らない」 スズキ、「米国撤退」の理由

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   スズキは2012年11月6日、ハワイを除く米国本土での自動車販売事業から撤退すると発表した。歴史的な水準が続く円高ドル安で輸出に頼る米国事業は継続不能と判断した。日本の乗用車メーカーが米販売から撤退するのは1992年のダイハツ工業以来、20年ぶり。

   米ゼネラル・モーラ-ズ(GM)との提携解消後、現地生産していないスズキにとって「さらば米国」は、いずれは避けられない道だったとも言える。今後は得意のインドをはじめ新興国の市場開拓に注力する方針だ。

ピーク時には年間10万台販売

   スズキの鈴木修会長兼社長は撤退発表後、記者団に「為替の問題が一番大きい」と率直に語った。

   スズキは自動車の米国販売を1985年に始めた。進出にあたっては、81年に提携したGMが陰に陽に支えたとされる。

   米国進出当初、スズキの4輪駆動車「ジムニー」は「サムライ」の名で販売。新しいモノ好きの米国の若者に「クール」と支持され、販売を伸ばした時期もあった。近年では小型車「SX4」やスポーツ用多目的車(SUV)「グランド・ビターラ(エスクード)」などを投入。ピークの2007年には10万2000台を販売したが、08年のリーマン・ショックで暗転。11年度の販売台数は2万6000台程度に落ち込み、スズキの世界販売台数に占める北米の割合は1%程度にとどまっていた。米国人は体格が大きく、大型車が常に人気なだけに、小型車が主力のスズキには不利な面もあった。

東南アジアで日本メーカーがぶつかり合う

   販売減には08年11月のGMとの提携解消も影響している。翌09年12月には1989年からGMと続けていたカナダの自動車工場での合弁生産も解消。カナダ生産からの撤退後は、日産自動車からピックアップトラックをOEM(相手先ブランドによる受託生産)供給で現地調達する以外の9割以上は、日本からの輸出が占め、折からの円高が収益を直撃し、採算が大幅に悪化した。もはや米国での販売を続ける理由はなくなりつつあった。鈴木修会長は「昔は米国で成功すれば一人前と言われた。米国への思い入れは深いが、もう戻ることはない」と語った。

   米国から撤退するスズキは、日本国内が頭打ちであるため、自然に新興国に注力することになる。2011年度の自動車販売台数(256万台)の地域別シェアで日本(23%)を唯一上回り、39%に及ぶインドがやはりその筆頭格だ。しかし、インドは昨年から労働争議が続き、一時的な生産停止にも追い込まれており、多くの日系メーカー同様、東南アジアにも目を向けている。3月に新工場稼働させたタイでは主力の小型車「スイフト」を生産、インドネシアなど隣国にも輸出し、シェアを拡大したい考えだ。

   中国で反日機運が高まって販売が落ち込む中、日系各社はこぞって東南アジアに力を入れており、競争は激しくなりそうだ。

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