兵庫県尼崎市の連続変死事件の報道をめぐり、新聞各紙・テレビ各局がほぼ総崩れの形で2012年10月30日夜から翌31日にかけ、紙面や各番組で「お詫び」を表明する異例の事態となった。
一連の事件の主犯格とみられる角田美代子被告(64)の顔写真として10月下旬から、別人の写真を誤って使い続けていたのだ。
「なぜ、こんなことに」
「ものすごい怒りを感じています」
「買い物をするのにも周囲りの目が気になってしまう」
10月30日夜、大阪市内の弁護士事務所で開かれた記者会見。自分の顔写真を角田被告の写真としてさらされ続けた尼崎市在住の女性(54)は、記者たちを前に怒りをぶつけた。
報道によると、女性は10月23日に購読する読売新聞の掲載写真を見て「自分に似ていると思った」。翌日以降のテレビ報道で「自分の写真だ」と確信し、弁護士を訪ねたという。
女性は会見の場に、マスコミが使用した写真と同一の和服姿で写った自らの写真を持参。「19年前、長男の小学校入学式で他の児童や父母らと一緒に撮影した集合写真です」と述べ、「角田被告のことは知らない。なぜ、こんなことになったのか」と訴えた。
この女性の会見を受け、読売新聞は翌10月31日付朝刊にお詫び記事を掲載。「あってはならないミスであり、本人確認が不十分でした」と記した。共同通信も同日午前、お詫び記事を加盟社に配信した。
2社と同様にこの女性の写真を使用した毎日新聞は10月31日付朝刊に「確認の上で顔写真を掲載しましたが、周辺取材を進めています」との記事を載せた。しかし、「お詫び記事掲載の予定は聞いていない」(愛読者センター)。東京本社発行分に限って共同通信が配信した写真を使った産経新聞は11月1日付朝刊にお詫び記事を載せる予定だ。
朝日新聞、時事通信、日本経済新聞は別人の写真を掲載や配信をしてはいない。
一方、テレビは30日夜からNHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日が放送で謝罪した。番組別に列挙すると、NHKは31日朝と正午のニュースなど。日本テレビは30日夜のニュースZEROと31日朝のスッキリ!!など。フジは31日朝のめざにゅー、めざましテレビなど。TBSは31日朝の朝ズバ!など。テレビ朝日は31日朝のモーニングバードなど。
このほか主要週刊誌やスポーツ新聞も同じ女性の写真を掲載したところが多く、「誤報」の広がりはかつてない規模となった。
なぜ間違えたか
使用した写真が全くの別人だったことに対し、各社の釈明はさまざまだ。
共同通信の写真を掲載したスポーツニッポンによると、共同通信記者は角田被告の長男の同級生の母親から提供を受け、提供者は集合写真の中から一人を指差して「美代子被告と思うが記憶はあいまい」と話した。このため別の複数の同級生や同級生の母親らに集合写真を見せて「美代子被告はいますか」と質問するなどの裏づけ作業を重ねたという。
またフジテレビによると、フジテレビ系列のニュース記者に写真を提供した人物は「写真は角田被告に間違いない」と話し、さらに複数の角田被告を知る人から確認の証言を得ていたという。
これに対し、写真を掲載しなかった朝日新聞は10月31日付朝刊で、「朝日新聞は同じ写真を入手していたが、(角田)美代子被告ではない可能性があったため、紙面掲載していない」と記している。神戸新聞も「別人の可能性がある」として掲載を見送っていた。
角田被告は普段から写真を撮られることを極端に嫌がっており、凶悪事件の「中心人物」にもかかわらず、まったく顔写真がないという異例の状態が続いていた。そんな事情も、メディア各社の「写真入手競争」に拍車をかけていたようだ。一部の報道によると、23日ごろからようやく出回り始めた「顔写真」について、地元尼崎では、「角田被告とはまるで別人。ぜんぜん似ていない」という声が出ていたという。
「他社より先にと飛びついた結果」
それにしても大手メディアはここ数か月、呆れるほどのミスや誤報が続いている。
6月中旬には時事通信のワシントン特派員が共同通信社が配信した記事をそのままパソコン上でコピーして自社記事に使用。さらに記事の頭部分のクレジット「ワシントン共同」を残したまま配信するなどした問題で、時事通信社の社長が引責辞任した。
九州では読売新聞西部本社で8月、暴力団取材をしている記者がメールを誤送信、誤報もからんで編集局長が更迭された。
さらに読売は10月11日付朝刊で、「森口尚史氏がiPS細胞の臨床応用成功」という大誤報を一面トップで流し、編集局長らが処分を受けた。共同通信や日本テレビも同じニュースを流し、処分が出た。
取材力の劣化とも組織疲労とも言える状況が相次ぐ中、今回の顔写真の誤使用問題について元東京大学新聞研究所教授でメディア研究者の桂敬一さんは、まず「この尼崎変死事件をマスコミが大騒ぎして取材競争している意味が私には分かりにくい。事件と社会とのつながりが見えてこないからです」と指摘する。
その上で、「『部数維持や視聴率を稼ぐために他社が騒いでるからウチも負けられない』といったマインドでの取材が、枕を並べての写真誤使用の要因になっているのでは。横並びの記者クラブの中で、他社より少し先に行こうとして次々に飛びついた挙句の失態でしょう」と話す。iPS細胞の誤報にも言及し、「組織内の身過ぎ世過ぎばかりで、自分の頭でものを考えて取材する記者が減っている状況が端的に現れている」と憂えている。