坂田明トリオが犠牲者追悼 やっと実現したジャズライブ【岩手・釜石発】

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迫真の演奏を披露する坂田さん=釜石市天神町の宝樹寺で
迫真の演奏を披露する坂田さん=釜石市天神町の宝樹寺で

(ゆいっこ花巻;増子義久)

   「祇園精舎の鐘の声/諸行無常の響きあり/沙羅双樹の花の色/盛者必衰の理をあらわす/おごれる人も久しからず/ただ春の世の夢のごとし/たけき者も遂には滅びぬ/偏に風の前の塵に同じ…」(平家物語)―。空気を切り裂くようなサックスの音がぴたりと止み、絞り出すような声明(しょうみょう)と鉦の音が本堂に沁み渡るように響き渡った。


   ジャズサックス奏者、坂田明トリオが22日、釜石市内の寺院で開いた東日本大震災の犠牲者を追悼する「鎮魂…ジャズライブ」。会場には被災者ら約50人が集まり、中に大槌町で岩手県最古(1946年オープン)のジャズ喫茶「クイーン」を経営していた佐々木賢一さん(70)の姿も。辛うじて一命は取り止めたものの、収蔵していた約2万枚のレコードは建物と共に津波に流されてしまった。


   坂田さんとの交流は長い。「田舎のジャズ喫茶に一流の音色を…」と佐々木さんらは「とびゃんこ」(ちっちゃな力という意味の方言)というグループを立ち上げ、念願のライブを実現したのはもう30年以上も前のこと。これがきっかけで「大槌ジャズファンクラブ」が結成され、その会長についたのは「クイーン」の常連の元役場職員、菅谷義隆さん(当時61)だった。


   義隆さんはあの震災で津波に飲まれ、現在も行方不明のまま。「とにかく坂田さんの大ファン。一時もCDを手放すことはなかった。今日は夫の分まで聴いていきます」。現在、大槌町内の仮設団地の支援員をしている妻のあやさん(55)は手を合わせながら身じろぎもしないで、演奏に聴き入った。


   震災から3週間ほどたった昨年4月5日、私は無残な姿をさらけ出す「クイーン」の跡地に立っていた。レコードの破片でも残っていないかと訪れたのだった。突然、携帯電話が鳴った。坂田さんからだった。この日の朝日新聞の朝刊に坂田さんは谷川俊太郎さんの詩「死んだ男の残したものは」を引き合いに出しながらこんなことを書いていた。「生きているものが残らなければ、だれもいなくなる。生きているものが明日に向かって生きなければ、誰が亡くなった人たちを弔ってあげられるでしょうか」


   坂田さんはその時、「何時でも追悼のライブはOKだよ。受入れの準備が整ったら連絡を欲しい」と言った。でも、被災者の気持ちに気遣い、あれから大分月日がたってしまった。「やっと実現に漕ぎつけたね」と言うと、坂田さんは「そうだな」とニヤッと笑った。


ゆいっこ
ゆいっこネットワークは民間有志による復興支援団体です。被災地の方を受け入れる内陸部の後方支援グループとして、救援物資提供やボランティア団体のコーディネート、内陸避難者の方のフォロー、被災地でのボランティア活動、復興会議の支援など、行政を補完する役割を担っております。
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