(ゆいっこ花巻;増子義久)
東日本大震災で大きな被害を受けた大船渡湾を眼下に望む尾崎岬(大船渡市赤崎町)―。その中腹に位置する尾崎神社の境内から19日、重厚なアイヌの祈りの言葉が流れた。北海道弟子屈町の屈斜路湖畔を拠点にアイヌ民族の伝統文化の継承や創作に取り組んでいるアイヌ詞曲舞踊団「モシリ」(アイヌ語で静かな大地の意)が同神社に伝わるアイヌの祭具「イナウ」の無事と震災犠牲者の供養を兼ねた奉納の儀式を営んだ。
赤崎町では約1200戸の3分の1以上に当たる約470戸が被災し、50人近くが津波の犠牲になった。尾崎神社(﨑山巌宮司)は境内につながる階段の上から6段目まで津波が押し寄せたが、辛うじて被災を免れた。また、社務所は全壊したものの、秘宝として保管していた「イナウ」は奇跡的に無傷のまま残った。
同神社には「御寶物 稲穂壱振 社務所」と表書きされた、縦55センチ前後、横5センチ前後の木箱が大切に保管されてきた。これに関し、旧赤崎村の村史には「宝物 稲穂一本、往古より鄭重に保存しあり」と記述され、「理久古田(りくこた)の神にささげし稲穂にも/えぞの手振のむかしおもほゆ」という和歌がそえてあったという。
民俗学者の谷川健一さんは27年前にこの神社を訪れている。谷川さんによれば、尾崎神社の古名は「理訓許段(りくこた)神社」。この名前はアイヌ語による読解が可能で、「rik・un・kotan」(高い所・にある・集落)の意味だとしたうえで、次のように述べている。
「(昭和初期の社会学者、田村浩の導き出した結論によれば)(1)尾崎神社の初めの祭神はリクコタン神であったこと、(2)リクコタン神は千余年以前、この地方における夷族の神であったこと、(3)このイナウは夷族の神への供えとしてのこされたものであったこと、(4)この地方は古代アイヌの聚落(しゅうらく)であってこれをコタンと称した-など田村のこの見解に私は同意する。とおい時代に蝦夷=アイヌの使用した短弓やイナウが今日まで伝えられていることは奇跡と呼ばれるにふさわしい」(『白鳥伝説下巻』 )
実は「モシリ」を率いる豊岡征則さん(67)=アイヌ名・アトゥイ(海の意)=は20年ほど前、民俗学者の赤坂憲雄さん(学習院大学教授)から、このイナウの鑑定を頼まれたことがあった。「見た瞬間、アイヌのものだと分かった。胸の高まりを抑えることができなかった」と豊岡さん。「イナウ(木幣=御幣)は 神への伝言を伝える中継役として、アイヌの神事には欠かせない。それが津波に流されないで残ったと聞き、居てもたってもいられなかった」
震災時、宮司だった秀明さん(当時73)は2か月前に亡くなった。妻の光子さん(70)が言った。「これはアイヌの大切な宝物だ。妻のお前にも触らせることはおろか、見せることもできないの一点張り。研究者が訪れた時、ちらっと盗み見た程度だった」。この日の奉納の儀式には総代や地区住民など約50人が参加した。こんな形での秘宝開帳はもちろん初めて。箱が開けられ、赤黒く変色したイナウが姿を現すと周囲にどよめきの声が広がった。
最初は豊岡さんが祭司となって、イナウの無事を神(カムイ)に感謝する「カムイノミ」(神への祈り)が営まれ、第26代宮司の巖さん(42)らが神妙な面持ちでアイヌ式の祈りを捧げた。続いて、震災犠牲者の魂を供養する「イチャルパ」(先祖供養)が歌と踊りで演出され、「カムイプヤラ」(神の窓)や「チプウポポ」(舟唄)などが復興の願いを込めて奉納された。
今まで聞いたことのないアイヌのメロディと音色に参加者は身じろぎもせずに聞き入った。中には目頭を押さえるお年寄りも。氏子総代の一人、志田賢太郎さん (83)がポツリとつぶやいた。「大昔、この一帯がアイヌの集落だったと思った瞬間、血が騒いだ。奉納舞踊を見ているうちに魂が乗り移るみたいな不思議な感覚になった」
鳥居の近くに「魚介藻の碑」と刻まれた石碑が立っていた。20年前に地元の漁協婦人部が建てたのだという。「モシリ」のメンバー11人が感慨深げな面持ちで口をそろえた。
「生きとし生けるものに感謝する。これこそがアイヌ精神の神髄。その精神がきちんと受け継がれてきた証しだと思う。﨑山家が代々守り続けてきたイナウの力かも知れない。それにしてもアイヌを初め、この地の先住民たちが高台を居住の地に定めていたことに改めて驚かされた。震災後の高台移転が叫ばれる今こそ、こうした先人の知恵に学ぶべきだと思う」
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