(ゆいっこ花巻;増子義久)
「今年のお盆はまるで"花見小屋"みたいだったな。でも、こんな仮設体験もめったにできないわけだし…」―。4日、釜石市鵜住居地区の箱崎町仮設団地Cの談話室に集まったお年寄りたちが「そう、そうだったね。なつかしいねぇ」とうなずき合った。震災後、お盆のたびに悩んだのが、遠方から供養に訪れる親戚縁者の宿の確保。仕方なく、手狭な仮設で雑魚寝するケースも。これが逆に図らずも忘れかけていた幼い記憶を呼び戻してくれた。
「"花見小屋"というのは旧暦の4月8日、いまの子どもの日の一大イベント。小学生たちが裏山などに簡単な小屋掛けをして、陣地取りをしたり…。そりゃ、楽しかったよ」。口火を切った岩井司郎さん(82)が顔をくしゃくしゃさせながら続けた。「山ツツジが咲く頃、立木などを利用して四方に大漁旗を吊るすの。それが"花見小屋"。そこに寿司詰めみたいにごろ寝して…。起床ラッパや進軍ラッパを吹き鳴らしながら、他の小屋を襲撃したりして遊ぶのさ」
「男だけじゃないよ。女の子も負けてはいなかった」と小林千鶴子さん(74)。親に作ってもらったご馳走を食べながら、歌を歌ったり、踊りに興じた。この一帯は漁師町だった。どこの家にも大漁旗が大事に保管されていた。「この辺では"風来旗"っていうの。それを持ち出して、小屋の周りを覆うの。山全体に大漁旗の花が咲いたよう。今でも目に浮かんでくるよ」
先月、岩井さんから老人クラブの会長を引き継いだ小林幸夫さん(79)がポツリともらした。「津波によって何もかも押し流されたとあきらめていたが、逆に心の中の宝物を思い出させてくれたというわけだ」。箱崎地区の老人クラブ「浜友会」には震災前約50人が名前を連ねていたが、7人が津波の犠牲になり、会員も半数近い28人に減ってしまった。
最盛期、「浜友会」では年に5回以上も温泉めぐりの慰安旅行を続けてきた。毎月21日には近くの漁村センターで体操やゲームを楽しんだり、講話を聞いたりしてきたが、その建物も流され、当時の仲間たちもあちこちの仮設団地にバラバラに散ってしまった。長老格の岩井さんが檄を飛ばすように言った。
「大漁の時、漁船は大漁旗を威風堂々と掲げて、浜に戻ってきたもんだ。"花見小屋"はそれを誇らしげに思う子どもたちの行事。どうだ、来年は久しぶり小屋掛けして、瓦礫(がれき)の街に大漁祈願の花を咲かせようではないか。今が老人パワーの出番。年寄りの最後のご奉公かもしれんぞ」。みんな顔をほころばせながら「うん、うん」とうなずいた。この日は「ゆいっこ花巻」の炊き出しボランティア。内陸育ちのスタッフたちにとっては、初めて聞く珍しい風習。目を白黒させながら、「浜のエネルギーと老人パワー」に圧倒されっぱなしだった。
ゆいっこ
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