いまだ海を見られない人がいる現実【福島・いわき発】

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   津波被害に遭った久之浜――。防波堤のそばに鎮座し、鳥居は流されたものの破壊を免れた小祠がある。希望のシンボルとして、ネットで紹介されることが多い稲荷神社だ。いわき市内のヤマとハマの被災地を訪ねるいわき地域学會の巡検(9月29日)でも立ち寄った(=写真)。ほんの気持ちだけ賽銭を納めて手を合わせた。


   真ん前の防波堤に仮の祭壇があった。巡検の一行が手を合わせ、花に水をあげていたら、参加者の一人がちょっと離れたところから、海に向かって「バカヤロー」と叫んだ。友達がまだあがっていない、海を見るのは3・11以来初めて、だとか。


   彼は別の海辺で生まれ育ち、画家になった。内陸の平に住んでいた。大震災で家が"全壊"になった。仲間とともに建てたログハウスのアトリエ兼たまり場が山里にある。そこで暮らしている。これも避難生活にはちがいない。


   四倉へ移動するためにバスへ戻ると、別の参加者が道路向かいで地元の男性と話をしていた。かたわらには花壇がある。男性はその手入れをしていたらしい。そこで婦人消防隊員の母親が住民の避難誘導中に亡くなった。今でも海を見られない、あなたたちは幸せですねといわれた、という。返す言葉もない。が、その現実を学びに来たのだと言い聞かせる。


   四倉から薄磯へ。豊間小で開催された豊間・薄磯・沼ノ内の復興祈念祭の初日、「安波さまの唄」を披露する浜菊会のステージを見た。リードボーカルは歌の伝承者・鈴木トヨノさん。海寄りの豊間中の奥にある民宿「鈴亀」のおばあさんだ。豊間中は津波の直撃を受けた。鈴亀は生き残った。


   ステージの終わりに、謝辞として自分で考え、つづった文章を読みあげた。「昨年の3月11日 思いもよらぬ大震災 忘れることはできません 誰もが被災者となり 一時はどうなることかと おそろしさと不安 かくしきれません」


   豊間中は、今はちょっと奥、山よりの豊間小に入居している。「小中学生の皆様 豊間小 母校にもどることができ 又今日は復興祭にと進むことが出来 うれしいです」「小中学生の皆様も強く明るく元気よく各諸先生の元に教養を身に付け 成人されますよう 祈る心でいっぱいです」


   しめくくりは「老婆なり 大震災ありて唄ふ安波様でした」。文章のつたなさをこえた、真率なメッセージだった。

(タカじい)



タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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