(ゆいっこ花巻;増子義久)
「じいさんよ、97歳ぐらいで隠居しておれないぞ。じいさん、頑張れよ。そう、賢治さんに鞭を打たれている気がして…」―。22日、第22回宮沢賢治・イーハトーブ賞を受賞したジャーナリスト、むのたけじさん(秋田県横手市在住)の張りのある野太い声が会場を揺るがした。一貫して地域生活者として生き、そこから農業や教育、文化についての数々のメッセージを発信。それが賢治精神にふさわしいと評価された。
「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」―。中国の作家で思想家の魯迅のこの言葉を引き合いに出しながら、むのさんは記念講演でこう喝破し た。「崇拝する魯迅先生だが、これだけは間違っている。たった一人で最初に歩く人がいなければ道はできないのだ。その人物こそが賢治さんではなかったのか」。現在、97歳8ヵ月。過去最高齢の受賞者のパワーに会場は終始圧倒された。
むのさんは太平洋戦争が敗北した1945年8月15日、勤め先の朝日新聞社を退社。郷里の横手市に帰郷して、1948年にタブロイド版の「週刊たいまつ」を創刊。1978年、第780号で休刊したが、その後も地べたに這いつくばるようにして、農業の立て直しや戦争反対の論陣を張り続けてきた。自らの戦争責任について、むのさんはこう激白した。
「20世紀の初頭に生まれた戦中派は、世界情勢の今の混濁を作った張本人であり、それを正すための努力を怠った犯罪者たちだ。私はその数少ない生き残りの一人だ。自分たちの世代の歴史体験を余さず切り刻んで、自らの手で裁いて、そこから今後への指針を導き出して、それを後続の世代に渡さなければ死ぬわけにはいかない」
こんな思いのむのさんにとって、東日本大震災は追い打ちをかける衝撃だった。近著『希望は絶望のど真ん中に』(岩波新書)の中でむのさんは渾身を込めて、こう書き記している。「悲報は四方に飛び、そしてすぐに八方から救いの手、励ましの手が波のように差し伸べられてきた。その波は新しい表情と熱気を持っている。…日本列島の一隅に発生した出来事と人々の動きが引き金となって、人々の目ざめが誘発されているのであるまいか。人々の連帯=人類の友情を開墾する作業が、地上の至る所で始まったのではあるまいか」
「老いたな、老いたな。よし来た、よし来た。さらに賢く、さらに美しく」……。「老醜という言葉が嫌いでね。だから、最近、頼まれた色紙にこう書いたんですよ」と言って、むのさんは続けた。
「賢治さんが切り開いた道は今、国境を越えて世界中に通じている。『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』(農民芸術概論綱要)や 『雨ニモマケズ』は震災復興のメッセージとして、世界を飛び交っている。だから、まだまだ死ぬわけにはいかない。あと百年は生きたいもんですね。今こそ、東北の人間たちと山野が燃え上がって、暗黒を切り裂くたいまつにならなければ…」
講演に先立ち、「あいさつの後は座らせていただき ます」と言っていたむのさん、気が付くと40分間の講演中、ずっと立ちぱなっしの熱弁だった。「今朝、宿泊先のホテルで講演の練習をしたら、2時間半もしゃべり続けていた」。むのさんはこう言って笑いを誘い、手を振りながら会場を後にした。
受賞を祝って、賢治作品(文語詩「雪の宿」)にも
登場する早池峰神楽(大償神楽)の「山神舞」が奉納された。
早池峰神楽は国指定の重要無形民俗文化財で、
平成21年にはユネスコの無形文化遺産にも登録された
=花巻市大通りのなはんプラザで
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