(ゆいっこ花巻;増子義久)
「ついでに借金も持っていってくれれば良いのに…。借金だけ残して後はきれいさっぱり流されてしまった。でもねェ、ここには昔と変わらない温もりがあるんだよ」―釜石市の中心部から北東に車で約30分…箱崎半島のてっぺんに位置する箱崎白浜地区の仮設団地には震災前と変わらない近所付き合いが息づいていた。
白浜地区には約115世帯が暮らし、ほとんどがホタテやワカメの養殖に従事していた。東日本大震災でうち半数近い約55世帯の家が津波に飲まれ、40以上が犠牲になった。震災の1年前に閉校になった市立白浜小学校の敷地に第3仮設団地は建っている。全部で21戸のこじんまりとした団地でこの先はどん詰まり。震災直後は半島の唯一の命綱である市道が寸断されたため、ヘリコプターで救出作業が続けられた。
「どん詰まりの最果てが逆に良かったんだね。他の仮設は方々からの寄り合い所帯というが、ここは不便な分だけ他所の人は一人もいない。み~んな昔の仲間たち。ミソ貸して、米貸して…。オ~イいるかいと声が聞こえると、もう上り込んでいるんだから。ここの仮設では孤独死の心配はいらないね」。大の仲良しの山下サチさん(81)と佐々木スミさん(77)はこう言ってニッコリ笑った。
「太平洋の波高く お箱の岬 あかねさし…」―白浜小学校の校歌にこう謳われた白浜の港では復興を急ぐ漁師たち約30人がホタテのいかだ作りに汗を流していた。「美味しいシーフードカレーができ上がりました」。この日31日、炊き出しボランティアに訪れた「ゆいっこ花巻」の車が拡声器のボリュームをいっぱいに上げて浜を練り歩いた。炎天下の作業に汗を流した漁師たちが集会所に当てられている小学校の教室に集まってきた。
「暑い時にはカレーが一番」と漁師一筋の佐々木謙二さん(69)が酎ハイ片手にやってきた。フ~フッ、フ~フッ。汗をふき拭き、カレーを食べる佐々木さんを見ながら、仲良し2人組がつぶやいた。「漁師町の良いところは他人と分け隔てがないこと。ここでも多くの人が亡くなったが、いつもみんなと一緒に供養をしている。死んだ人も生き残った私たちもみんな一緒」
震災後、コミュニティの崩壊があちこちで危惧されているが、ここ箱崎半島には「最果てのコミュニティ」がどっこい生きていた。
ゆいっこ
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