「解除条件付き」なので出馬否定はウソじゃなかった??
当時の会見では、この点をただされて、
「解除条件付き(の契約)ですから。(出馬の動きが報道された時点で)当初から合意がなかったものと判断した」
などと苦しい釈明に追われた。橋下氏の説明によると、12月3日に自民党の古賀誠・選挙対策委員長(当時)と堺屋太一氏との3者で会談した際に出馬の意欲を伝えていた。だが、「解除条件付き」だったため、朝日新聞の報道が出たことで、そもそも出馬の話はなかったことになり、「2万%ない」発言もウソではない、というのだ。
結局は、やしきたかじん氏らに強く推されて再び出馬を決意し府知事当選を果たしたのだが、橋下氏も会見で「ウソといえばウソだった」と認めているように、有権者にとっては「ウソつき」という印象を与えてしまった。
なお、橋下氏は12年9月4日朝の囲み取材では、
「維新の会には関与し続けなければならないが、国政政党云々というのは機関決定していないので、そのときに、メンバーにきちんと諮らないと。今、この段階で僕が国政政党の代表につくかどうかをこの段階で言える状況ではない」
「(機関決定を)8日の全体会議と決めた以上は、そこでしか正式な発言はしない」
と話し、9月8日に行われる維新の会の全体会議までは、国政進出についても発言しない考えだ。
なお、維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は9月3日、「党首は橋下氏しかいない」と語り、橋下氏が新党の党首と維新の会代表、そして大阪市長の3つを兼務する見通しを明らかにしている。その場合、ずっと大阪在住のまま党首というのは考えにくいこともあり、国政進出がとりざたされる理由のひとつとなっている。