丹羽宇一郎・駐中国大使の公用車が何者かに襲われ、国旗を奪われた事件で、中国当局は容疑者全員を割り出し、日本側に伝えた。早期に幕引きを図る裏には、何か事情があるのだろうか。
中国ではインターネット上で、「襲撃犯」を英雄視して「よくやった」と評価する声があるという。ネットアンケートで、8割以上が襲撃に賛成との結果が出たケースもある。一方で別の調査では「支持しない」「非難すべき行為」と手厳しい指摘もあり、反応はまちまちだ。
「日本製品ボイコットしない」が「する」を上回る
丹羽大使を乗せた車に2台で追い越しや幅寄せなどの嫌がらせをしたうえ、強制的に停車させて日の丸を引き抜く。日本から見ると「蛮行」そのものだが、尖閣諸島の領有権問題で日本への反発が強まっている中国側では、むしろ肯定的なとらえ方が少なくない。中国の主要ポータルサイト「騰訊網」では、襲撃に関する賛否を問うアンケートを実施した。2012年8月31日午後の時点で5万4000件を超える回答が寄せられ、82%が「支持」を表明した。
だが、これだけで「中国のネット世論」と見るのは早計だ。中国のネット事情に詳しいノンフィクション作家の安田峰俊氏は、ミニブログ「新浪微博」のアンケートでは違う結果が出ていると指摘する。ここでは「日本製品をボイコットするか」という、反日のスローガンへの賛否を尋ねるような質問がユーザーに投げかけられた。ふたを開けると、「しない」が「する」を上回ったのだ。
人民日報系の「環球時報」英語版では、少数ながらミニブログでの投稿内容が紹介されていた。「断じて反対。犯人には『これは愛国的なふるまいではなく、国を辱めるだけだ』と言いたい」「愛国の名の下に国際ルールを破る行為をしてはならない」と、襲撃に賛同できない意見が多かった。
ネットで支持、不支持と反応が分かれたのはなぜか。安田氏は、媒体としての騰訊網と新浪微博の性質の違いを説明する。騰訊網の場合、ニュース記事の下部にコメントを書くタイプのポータルサイト的なつくりだ。日本の類似サイトと同様、集まる意見は過激なナショナリズムになりがちな傾向が強い。今回のアンケートも「この事件はよいと思いますか、悪いと思いますか」の二者択一という簡易なもの。
こうなると「襲撃を支持」に票が入りやすい。一方の新浪微博は「ネットユーザーの賛否両論を併記した上で、どちらの側の意見を支持するか選ばせる方式」で、「中立やリベラルな意見も出てきます」。実際の書き込みでも、「ボイコットしたってしょうがない」「自動車をぶっ壊すのが愛国者なんですね(笑)」など、冷ややかに見つめている人の意見も表に出てきている。
他の媒体を含めて、ネット全体ではどんな議論になっているか。安田氏は「例えば2005年の反日デモ当時と比較すると、いまひとつ盛り上がっていないように感じます」と話し、理由として中央政府が反日一辺倒の方針を必ずしも打ち出し切っていない点を挙げた。中国のネット世論は「お上」の方針に沿うもので、それがハッキリしていないだけに賛否両論が出てきている、というのが安田氏の見方だ。
スピーディーな解決は「政府の威信のため」
中国の実社会においては、そもそも「反日・親日」という概念を持つ人よりも、日本に対して無関心な人の方が総体的に見ればずっと多いと安田氏は指摘する。「大事なのは日々の生活であって、日本の大使の車が襲撃されたニュースなどは正直、どうでもいいと考えている中国人の方がずっと多いでしょう」。ネットユーザーの一部が尖閣問題や今回の襲撃に関心を寄せ、ネット上で騒いでいるものの当局の方針が定まっていないので意見もさまざま出ている、というのが実情だと考える。
大使の車が襲撃された8月27日以降、日本政府は外交ルートを通じて中国側に刑事捜査と再発防止を求めてきた。中国当局の対応も早く、30日夜になって容疑者とみられる中国人の男女を割り出したと日本側に伝えたという。事件発覚後すぐに「襲撃犯」の顔写真や車のナンバーを撮影した写真が中国公安当局に提出されたこともあり、犯人グループの特定が比較的スムーズに進んだのかもしれない。
スピーディーな解決の裏に何かあるのでは、と疑問もわくが安田氏は「政治的に敏感な問題は常に幕引きが早いのが中国。今回がことさら特異なケースだとは言えないでしょう」と話す。もっともその理由は日本側への配慮でも、国内世論の反発を抑えるためでもなく、「ある程度の証拠が既に公開されてしまった以上、グズグズすれば共産党政府の威信にかかわるから」という見立てだ。襲撃犯を「英雄視」する意見がネット上で多数派だからといって、たとえ犯人に処分が下されても「政府は愛国的な行為を罰するのか」と中国の世論が怒りで沸騰する可能性は低いのではないかという。「日本人の私たちが想定しているよりも、中国において世論が政治を動かす力ははるかに弱い。いったん『お上』の決定が出れば、その瞬間から文句を言う人はいなくなるでしょう。日本という民主主義国の常識をもとに、中国の社会を理解しようとしてはいけません」(安田氏)。