米IBM本社でガースナー会長を補佐したことも
大歳氏は東大工学部を卒業し、1971年に日本IBM入社。営業畑を歩み、常務取締役サービス事業担当を経て99年12月に代表取締役社長に就任。08年4月には会長を兼務し、09年に1月には代表権のない会長に。12年5月には最高顧問に就任していた。
94年には米IBM本社で、ルイス・ガースナー会長(当時)の補佐をしたこともある。
社長在任中は、女性の登用を積極的に進めたほか、社内に「ダイバーシティー委員会」をつくり、性的マイノリティーが働きやすい職場作りを進めたことが知られている。それ以外は、IT業界のビジネスが「ソフトからハード」に移行したことに対応する形で事業内容の転換を指揮した。
ただし、大歳氏を古くからよく知る関係者は、日本IBMは業績不振が続いていることもあって、
「業績については、正直に言って、ほめるべきことが少ないように思う。日本経済の不振とともに、IBMの世界における日本の位置づけも低くなって、下降線をたどる不運な時代の外資系経営者だった、という印象だ」
と、厳しい評価だ。
なお、今回の事件については、
「普段の生活からは想像がつかなかった」
という。