長島首相補佐官「最後の手段で上陸させた」 尖閣事件「けが人出さない」が優先だった?

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   香港の活動家が沖縄県の尖閣諸島に上陸した問題で、「けが人を出さないための『上陸ありき』のシナリオがあったのではないか」という指摘が相次いでいる。長島昭久首相補佐官(外交・安保担当)は出演したテレビ番組で「少し言い過ぎ」と反論するが、「最後の手段として、やむを得ず上陸させた」と、歯切れが悪い。政府は、抗議船の香港出港直後から「けが人が出るような強硬手段を用いない」とする対応方針を固めたとされているが、長島氏の発言で、これが裏付けられた形だ。

巡視船は「2、3回しかぶつかってこなかった」

   抗議船はまず、活動家が上陸した魚釣島から西約44キロの接続水域(日本領海の外側22キロ)に、2012年8月15日14時20分頃侵入。この時点では、巡視船は無線で呼びかけをしていたが抗議船は無視した。そのおよそ1時間半後に抗議船が領海に侵入した際は、日本側は放水するなどして対応した。異論が出ているのが、その後の上陸までの対応だ。

   抗議船を出した「保釣行動委員会」の幹部は12年8月18日、香港の公共ラジオ局(RTHK)に対して、その時の様子を明かしている。この幹部は香港から抗議船に対して指揮していた立場だ。この幹部によると、(1)海上保安庁の巡視船は、2、3回しかぶつかってこなかった(接舷してこなかった)(2)活動家が上陸した魚釣島に約9キロ地点まで近づいた時点で、多くの巡視船が離れていった、という。主にこの2つの理由から、抗議船の活動家らは「上陸の機会がある」と思ったという。仮に、この幹部の話が正しければ、日本側の対応が上陸を誘発した、あるいは日本側は当初から「上陸ありき」だったとの指摘も出そうだ。

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