仮設住宅に暮らす人たちの菜園づくりを支援【宮城発】

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宮城県女川町:「自分で育てた野菜をまた食べられるのがうれしい」

午後3時頃には休憩も兼ねて、菜園の脇に備えたテーブルで「お茶っこ」。「お茶っこ」とは、近所の方々とお茶を飲みながらおしゃべりを楽しむという東北地方の文化だそうです。震災直後は、気軽に世間話ができる場所もありませんでした(宮城県女川町「ふれあい農園」にて、2012年5月24日)
午後3時頃には休憩も兼ねて、菜園の脇に備えたテーブルで「お茶っこ」。「お茶っこ」とは、近所の方々とお茶を飲みながらおしゃべりを楽しむという東北地方の文化だそうです。震災直後は、気軽に世間話ができる場所もありませんでした(宮城県女川町「ふれあい農園」にて、2012年5月24日)

   三陸沿岸部の女川町では、津波により山間部まで壊滅的な被害を受けました。現在も仮設住宅で暮らしている方が大勢いらっしゃいます。


   女川町清水地区自治会では、会長の高橋義弘さんが中心になって、仮設住宅の前にある空き地を借りて菜園をはじめました。空き地の隣には川が流れており、菜園に使う水は豊富にあります。しかし、津波が押し寄せた場所だったため、瓦礫や岩を取り除かないととても菜園として使うことはできません。また、土が痩せていて、野菜を育てるには栄養が不足していました。


   そこでAARは、小型耕運機1台、鎌や鍬、スコップなどの農具、農具を保管するための物置1棟、新土2トン、肥料 有機化促進剤などを提供。また、瓦礫の撤去作業は東北福祉大学の学生の方々と女川復興支援センターの方々が手伝ってくださることになりました。大きな岩がごろごろあり、開墾作業は思うように進みませんでしたが、少しずつ岩を取り除き、整地された畑に新しい土を入れて、約450平方メートルの菜園が出来上がりました。


   この菜園は、利用者の方々により「ふれあい農園」と命名されました。土地が整い、野菜が育ち始めるにつれて、草むしりや水やりをしながら世間話をする方々や、午後3時頃には農作業の手を休めて「お茶っこ」のためにお漬物やおかずを準備するお母さんたちの笑顔が見られるようになりました。

「自分で育てた野菜をまた食べられるのがうれしいんだあ」と話す「ふれあい農園」の皆さま。鍬やスコップ、小型耕運機をお届けしました。毎日の農作業は慣れたものです(宮城県女川町、2012年5月18日)
「自分で育てた野菜をまた食べられるのがうれしいんだあ」
と話す「ふれあい農園」の皆さま。鍬やスコップ、小型耕運機をお届けしました。
毎日の農作業は慣れたものです(宮城県女川町、2012年5月18日)
AAR職員も瓦礫や岩の撤去作業を一部お手伝いしました。大きな岩が多く、予想以上に重労働でした。中央は「ふれあい農園」発起人の高橋義弘さん、左は仙台事務所の大原真一郎(宮城県女川町、2012年5月24日)
AAR職員も瓦礫や岩の撤去作業を一部お手伝いしました。
大きな岩が多く、予想以上に重労働でした。
中央は「ふれあい農園」発起人の高橋義弘さん、
左は仙台事務所の大原真一郎(宮城県女川町、2012年5月24日)
既に開墾されたスペースでは、ピーマンやナス、じゃがいもなどの野菜が育ち始めています。晴れ渡った空と野菜の緑色が気持ちを明るくしてくれます(宮城県女川町、2012年5月24日)
既に開墾されたスペースでは、ピーマンやナス、じゃがいも
などの野菜が育ち始めています。晴れ渡った空と野菜の緑色が気持ちを
明るくしてくれます(宮城県女川町、2012年5月24日)
7月にはAARの引率の下、プリンストン大学の学生が訪問。「被災地に花とまごころを届けよう」キャンペーンを通して届いたお花とメッセージプレートを植えました(宮城県女川町、2012年7月3日)
7月にはAARの引率の下、プリンストン大学の学生が訪問。
「被災地に花とまごころを届けよう」キャンペーンを通して
届いたお花とメッセージプレートを植えました
(宮城県女川町、2012年7月3日)
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