專称寺(=写真)についての、きのう(7月31日)の続き。佐藤孝徳著『專称寺史』を繰り返し読んでいる――と書いて筆をおいたあと、なんとなくその本を読み返してみた。
正確には『浄土宗名越(なごえ)派檀林 專称寺史』で、平成7(1995)年7月に刊行された。いわき民報に短期的に連載したものをベースにして本篇を構成し、資料篇、論文篇を新たに加えてハードカバーの箱入り本に仕上げた。開山600年を記念する本でもあった。本づくり(校正)にかかわったので、愛着がある。
專称寺は、学僧がひしめく檀林寺であると同時に、東北地方に200以上の末寺をもつ名越派の本山でもあった。著者にいわせると、「專称寺こそは東北文化の交流の場であり、新たな文化の発信地にもなっていたのである。近世東北文化の生みの親が專称寺であった」。
本に末寺の一覧が載っている。今のいわき市をはじめ、東北6県に「本・末」のネットワークが展開されていた。3・11にはどうだったか。岩手・宮城・福島県にある專称寺末、とりわけ津波被災地にあると思われる寺をネットでチェックした。
岩手県大槌町の話を、東野真和著『駐在記者発 大槌町震災からの365日』にからめて、7月21日に書いた。
新町長はいわき市小川町の商工会長の弟、前倒しで新規に採用された職員のなかにいわき市出身の52歳の男性がいた、小学校の女性校長の一人が双葉郡大熊町の出身。いわき市と大槌町は、地理的には離れているが、人と人とのつながりがある。それを忘れないようにしたい――。
その大槌町に專称寺の旧末寺がある。大念寺という。東野さんの2011年8月5日の日記。「270年前、大槌に初めて寺子屋ができた大念寺で、『寺小屋』が復活した。教えるのは、慶応、早稲田、上智の学生ボランティア。真剣に勉強している子どもたちを見ながら、心で声援を贈る」
そのあとの文章。「お寺というのは、震災後、いかに大変な場所かわかった。葬儀は朝から夕方までひっきりなし。いまだに遺体は見つかり続けている。(略)別宗の全壊した江岸寺の和尚もここに身を寄せているから、檀家は倍以上になる。(略)そういえば大槌に来て最初に入った建物が、この寺だった。あのときは避難所でもあ」った。
大念寺が專称寺の末寺と知っていたら、東野さんの本をもっと深く読み込めたはずだ。『專称寺史』の著者は生きていれば、たちどころに被災3県の旧末寺に関して情報を収集したことだろう。現地に赴いたかもしれない。旧名越派のつながりを見落としていたという点では、知識の底が浅い。
民衆救済を目的とする宗教であれば、非常時にはなおさらその精神が発揮されなければならない。3・11に被災した寺は別として、住民の避難所になり、交流の場になり、遺骨の保管所になったことは、被災者にとっては救いであったろう。東北の被災地の寺が果たした役割に光を当ててみる必要がありそうだ。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
■ブログ http://iwakiland.blogspot.com/