自動車メーカー、スズキのインド子会社「マルチ・スズキ・インディアリミテッド」のマネサール工場は2012年7月18日に起きた暴動をきっかけに生産を停止しているが、当面は操業を再開できない見通しだ。
現地の「マルチ・スズキ」が7月27日、声明を発表した。
「従業員の安全を確保できない」
現地警察やスズキによると、インド北部のハリヤナ州にある「マルチ・スズキ」のマネサール工場で起こった暴動は、労使のトラブルをきっかけに一部の従業員が工場敷地内の事務所を破壊し、放火するなど暴徒化し、インド人役員1人が死亡、2人の日本人幹部を含む40人以上が負傷した。約4000人の警察官が出動し、約100人が拘束された。
マルチ・スズキは7月18日以降、マネサール工場の生産を停止。27日の声明では、「工場をめぐる治安状況を考え、従業員の安全を確保できないため、引き続き操業を停止せざるを得ない」と説明している。
また工場の被害状況は確認中だが、事務所の損傷は火災により修復不可能な状態とされる。同社は現地警察に徹底した捜査を要請したという。
暴動の起きたマネサール工場は、年間60万台の生産能力をもつ、インドの主力工場の一つだ。じつは、マルチ・スズキでは2011年もストライキの発生などで大幅な減産に追い込まれた経緯がある。
スズキがインドに進出したのは1982年。インド政府が74%、スズキが26%出資し、四輪車の合弁会社を立ち上げたのが始まりだ。その後スズキは出資比率を段階的に引き上げ、現在はマルチ・スズキに54.2%を出資している。2007年度にはインドでの新車販売が日本を上回る最大の市場となり、同社の利益の3割を占める重要な収益源に育った。
「早わかりインドビジネス」などの著書がある、ネール大学のプレム・モトワニ教授は、「スズキは日本式経営をインドに導入。いわば、伝統的なインドの身分制度を取り払って成功してきた」と、インド社会では画期的な企業とされてきた。
それだけにマネサール工場での従業員による暴動事件や労働争議は、現地幹部らのショックが大きいはずだ。
新たな工場の稼働は「粛々と進めていく」
マルチ・スズキは2013年度にマネサール工場で年間の生産能力が25万台規模の新ラインを稼働させる計画がある。また、15年度にはグジャラート州に年産25万台の工場を建設。デリー近郊のグルガオン工場(年産約90万台)を含めると、インドでの生産能力は現在の150万台から200万台に拡大する。
スズキの鮎川堅一常務役員は7月23日に開かれた日本貿易振興機構(JETRO)の投資セミナーで、マネサール工場の生産再開については「まだ時間がかかる」としたものの、同工場に建設中の生産ラインや、グジャラート州の新工場の計画は「予定どおり、粛々と進めていく」と語った。