「原発事故は人災だった」と断じた国会事故調査委員会(黒川清委員長)が2012年7月5日に決定した最終報告書では新たな事実が多く盛り込まれたが、それでも明らかになったことのひとつが、東京電力のテレビ会議システムの記録だ。
ベントが遅れた理由や、いわゆる「撤退問題」を解明するためには重要な資料だが、委員会は国政調査権を行使しておらず、「東京電力に行って見せていだだいているだけ」と弱腰な姿勢にとどまっている。
菅首相の叱責場面、音声ない理由は「承知していません」
テレビ会議システムは、事故直後の2011年3月時点では、東京・内幸町の東電本店、福島第1、福島第2原発などを結んでいた。この記録は、原子力内の圧力を下げる「ベント」や、海水注入の遅れをめぐる関係者の行動を検証するためには非常に重要な資料だと言える。実際、報告書には、録音から書き起こしたとみられる本店と第1原発とのやり取りが、かなり細かく盛り込まれている。
また、東電が福島第1原発から全面撤退を申し出たとされる「全面撤退問題」にも関係している。11年3月15日早朝、菅直人首相(当時)は東電本店に乗り込んで経営陣を激しく叱責した。これは、清水正孝社長(同)が全面撤退を申し出たとされることを受け、菅首相が「撤退はあり得ない」と激高した末の行動だ。東電本店での菅氏の様子もテレビ会議システムに記録されていたのだが、画像だけで音声は無し。東電の武藤栄副社長(同)は12年3月14日の第6回委員会で音声が残っていない理由を聞かれても、
「どうしてなのか承知していません」
と、ひとごとのような答弁をした。このことから「隠蔽疑惑」も根強くささやかれていた。
事故調の最終報告書(276ページ)にも、
「東電の記録によると、当時の菅総理の主な発言内容は以下のとおりである。
『被害が甚大だ。このままでは日本が絶望だ』
『撤退などあり得ない。命懸けでやれ』
『逃げてみたって逃げ切れないぞ』
『60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く』
『社長、会長も覚悟を決めてやれ』」
とあるだけで、事故調はテレビ会議の記録の原盤にはアクセスできなかった模様だ。
この点、最終報告書発表後の記者会見でも、東電のメモだけも根拠にしている点について、
「菅総理や政府側に確認していないとすれば、違う可能性もあるのではないか」
「菅総理や政府に確認しないとフェアではないのでは」
といった疑問が出た。この点、野村修也委員は、
「菅総理には、『東京電力に残っている記録を開示していただいて構わない』というようにご回答いただいている」
と説明。