連立離脱通告の翌日に小渕首相が倒れる
2番目の新党は、94年に結党された「新進党」。前出の新生党や公明党、日本新党などが合流してできた政党だったが、97年に小沢氏と鹿野道彦元農水相が一騎打ちした党首選で党内対決が決定的になり、自由党、改革クラブ、新党平和、新党友愛、黎明クラブ、国民の声の6党に分裂した。
3番目の新党が、この分裂した6党のうちの「自由党」だ。99年には、自民党と連立したが、00年4月には解消。小渕恵三首相は、自由党から連立離脱を通告された翌日に脳梗塞で入院し、そのまま帰らぬ人となったことから、連立解消の心労の大きさを指摘する声も出た。自由党は03年9月に民主党と合流。民主党では代表や幹事長を務めた。
12年6月21日の小沢グループの会合では、小沢氏は15時半にホテルに入り、出てきたのは22時過ぎ。6時間半にわたるホテルの滞在時間中に、出席議員約50人に対して個人面談を行っていた模様だ。新党への参加への意思を確認していたものとみられ、その場で民主党への離党届を書いた議員も多かったという。「4番目の新党」の発足は、目前に迫っている。