サッカー日豪戦で「疑惑の笛」連発 サウジ人主審の「いわくつき」過去

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   サッカーW杯ブラジル大会のアジア最終予選、日本―オーストラリア戦で、主審の不可解な判定が飛び出した。後半ロスタイム、日本代表MF本田圭佑選手がフリーキックを蹴る直前、唐突に試合終了を告げる笛が吹かれ、日本の選手たちはあ然とするしかなかった。

   この試合では「謎」「?」のホイッスルが続出したのだが、実はこの審判、過去の試合を見ると少々「いわくつき」だったようだ。

ロスタイムの時間を勘違いして慌てて止めた?

スポーツ紙の1面は軒並みサッカーが独占
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   時計は後半48分を過ぎた。本田選手が相手のファールで絶好の位置からのフリーキックを獲得。ロスタイムの目安の3分は過ぎているが、本田選手も「最後のプレー」と考えてかスパイクの裏についた芝を落とし、慎重にボールをセットして意識を集中させた。助走をつけようとした瞬間、突然笛の音が鳴り響いた。日本の選手、ベンチはあっけに取られ、本田選手も両手を広げてアピールするが、そのまま終了。試合は1-1の引き分けとなった。

   ルール上は問題ないが、フリーキックの結果によっては劇的勝利の可能性もあっただけに、ファンの間では釈然としないものが残った。自ら日本側にフリーキックを与えておきながら、プレー直前に終わらせるというのは不自然にも思える。サッカー解説者の松木安太郎氏は、試合終了後に「主審はロスタイムの時間を勘違いしていたのではないか。そのため、慌てて(試合を)止めたかもしれない」と不可解なジャッジの原因を推測した。

   問題の人物は、サウジアラビア出身のカリル・アル・ガムディ主審。この日の日豪戦では、試合終了の笛以外にも首をかしげたくなる判定があった。後半24分、相手のコーナーキックの際にDF内田篤人選手がファールを取られ、PKを献上してしまったシーン。内田選手はゴール付近で相手選手の体を左手で抱きかかえるようにガードしていた。

   サッカー元日本代表の都並敏史氏は2012年6月13日放送の日本テレビの情報番組「スッキリ!!」で、「これを(反則と)とられてはたまらない」と指摘。実際に内田選手は、主審に呼ばれたときに「なぜ自分がイエローカードなのか」とあっけにとられた表情を浮かべていた。

   都並氏は、これには「伏線」があったと言う。後半10分にオーストラリアの選手が2枚目のイエローで退場となっていた。豪代表のオジェック監督はオーストラリアのスポーツニュースサイト「スポータル・コム」で、ガムディ主審の判定を批判、「私はリプレーを見たが、明らかにファールしていない」と断言した。この時、主審は「2枚目」のイエローなのを忘れており、退場させたことで「どこかで帳尻を合わせなければ」との思いがあったのではないか、というのが都並氏の見立てだ。

W杯南ア大会ではイエロー9枚、レッド1枚

   都並氏によると、国際サッカー連盟(FIFA)の通達で、ペナルティーエリア内で相手選手に手をかけて邪魔するプレーは最も厳しく判定しようとなっている。「帳尻合わせ」を考えていたところに内田選手のプレーを目にして、「これだ」とばかりにイエローカードを出した――。本当にこんな「シナリオ」だったかは不明だが、日本側にとっては納得できない反則裁定となった。

   では終了間際、本田選手のフリーキック直前での笛は何だったのか。都並氏によると審判は、試合を円滑に動かしているかをサッカー協会に査定されているが、この日は大量6枚のイエローカード、退場者2人と「大荒れ」だった。両チームの「バランス」を考えて、このまま引き分けに終わった方が穏便に収まると考えて、突然の笛になったのではないかと推測した。確かにロスタイムも含めて時間は過ぎており、規定上、審判が終了と判断して問題ない。

   とはいえタイミングの悪さは否めない。このガムディ主審、イエローカードを連発する審判のようだ。2010年のW杯南アフリカ大会チリ―スイス戦でイエロー9枚にレッド1枚を、またフランス―メキシコ戦ではイエロー6枚を、それぞれ出している。2011年のアジア杯準決勝の日韓戦でもイエロー6枚が飛び交った。

   都並氏は、今回の日豪戦のように主審が唐突に笛を吹いて試合を終わらせたケースを「3回ほど見た」と言っていた。具体的にどのゲームかは明かさなかったが、過去のW杯でも驚くような結末を迎えた試合があった、1978年のアルゼンチン大会、ブラジル―スウェーデン戦で後半45分過ぎ、ブラジルのコーナーキックからひとりの選手がヘディングでゴールネットを揺らしたのだが、ゴール直前に主審が試合終了を宣告、得点が認められず試合は「強制終了」された。このときに「幻のゴール」を演出していたのが、当時現役プレーヤーだった元日本代表監督のジーコ氏だった。

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