昨年(2011年)秋に発行された『HOPE2―東日本大震災いわき130人の証言』(いわき市海岸保全を考える会)から――。海に面してある久之浜第一幼稚園は、3・11に津波に飲みこまれた。園児は避難して無事だった。更地になった園舎あとに、第一回卒園生の贈った小さな記念碑が残る(=写真)。
あの日、80人の園児が残っていた。すぐ保護者が待つ自宅へ園児を帰さないといけない。海側を走るルートを山側に変更してバスを出した。海の近くに住む3人は保育者が送り届けた。あずかり保育の十数人は、駆けつけた父母の会会長がワゴン車で高台の寺へ避難させた、という。
「津波遡上限界ラインには神社仏閣がある」。福島県いわき地方振興局の吉田成志さんがまとめた論考を読んだ。被災者のための交流スペース「ぶらっと」へ行ったら、スタッフから論考を綴(と)じたバインダーを渡された。「ぶらっと」とつながっている被災者が持って来た。
タイトルに覚えがある。昨年8月21日の県民の日に「海道の歴史と文化に学ぶ~シリーズ2」が開催された。仕掛け人は私のよく知る人で、二つある記念講演会の一つが「津波遡上限界ラインには神社仏閣がある」だった。
県税関系の仕事をしている。で、アフタファイブに調べ、まとめたのだろう。たまたま神社仏閣は過去の津波に学んで立地しているのではないか、という仮説を得て、青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉を調べたら、多くが3・11の津波の遡上限界ラインに立地していた。
それからの提言。(1)避難経路を見直す=近くの神社仏閣を第一次避難所にする(2)たとえば、久之浜で家を建てる場合、堤防のそばにあって残った稲荷神社と同じ高さに盛り土する(3)その場合でも、建物が海に向かって直角になるのではなく、45度にする――。(3)は船と同じで、家の角を船首にみたてて「波切り」をし、津波の圧力を減殺するのだという。
大きく日本を、あるいは世界を見渡した人のことばは傾聴に値する。が、同時に個別・具体のローカルな話も大切だ。吉田さんの提言ではないが、あずかり保育の子どもたちを近くのお寺に避難させたのは大正解だった。これこそ生きた教訓というものだろう。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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