避難自治体、同じ浜通りに「仮の町」は歴史の必然【福島・いわき発】

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   あれ以来、というしかない。東日本大震災・原発事故を経験して見方・考え方が変わった。3・11をはさんで「ビフォー」「アフター」が画然としてある。同じ食べ物でも「以前」と「以後」とでは取り扱い方が異なる。実業の分野でも、学問の分野でも事情は同じだろう。世界が変わったのだから「学び直し」を始めるしかないのだ。


   5月30日、いわき地域学會の新しい事業、「いわき学・筠軒(いんけん)講座」がいわき市生涯学習プラザで始まった(=写真)。夏井芳徳副代表幹事が担当する"夜学"だ。地域学會会員と同学會市民講座の受講者、新聞で開催を知った一般の人など70人余が受講した。3・11後としては「想定外」の人数と言ってよい。


   「筠軒」は、大須賀筠軒(1841~1912年)。いわきが誇る漢学者・漢詩人・歴史家、そして民俗にも詳しい「いわき学」の大先達だ。


   テキストは夏井副代表幹事が復刻した筠軒著『磐城誌料歳時民俗記』。漢字、しかも漢学者の筆になる難しい字体と格闘して、草稿を活字化した。まず、素人は漢字、いや熟語が多すぎて前に進めない。「読む」のも、意味を「解釈する」のも難儀する。が、「こうですよ」と解きほぐされれば、そうかと理解はできる。月 に1~2回のペースで開催する。


   「学び直し」の一つが「磐城」の範囲だ。ひらがな「いわき」ではない。江戸時代前半、譜代の内藤家が支配した「磐城平藩」は、今のいわき市のほかに双葉郡の南半分(旧楢葉郡)を含んでいた。今の富岡・楢葉・広野町と川内村、いわき市の久之浜町・大久町・川前村――それらを含んだ広域行政圏だった。


   生活風習、気候風土が一緒。ということは、近世から近代に変わり、異なる領域に住み暮らしているようでも、どこかでつながっている。筠軒もまた、磐城というのは磐城・磐前(いわさき)・菊多=今のいわき市=と楢葉の4郡である、この歳時民俗記はその範囲内にとどまる、ということを凡例に明記する。


   浜通りは、南が磐城平藩(譜代)、北が相馬藩(外様)だった。で、その境の北側に第一、南側に第二の原発が立地した。


   今、いわき市には双葉郡から避難して来た人がかなりいる。自治体によっては、いわきに「仮の町」をと考えているところもある。歴史をひもとくと必然の流れだろう。浜通りの人間が浜通りを離れて暮らすのは酷だ。同じ「磐城4郡」の人間だから、それがよくわかる。ということも含めて、「筠軒講座」は双葉郡の南部も視野におさめた学び直しの機会になる。

(タカじい)



タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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