「生活保護」に関連して、最近の芸人の収入が話題になっているが、国民的アイドルだったピンク・レディーの未唯mieさん(54)が、全盛期の全給料をバラエティ番組で公開した。それは、今なら考えられないほどの低額だったというのだ。
「給料は、実はそんなにもらってなかったんじゃないかって、うわさがありますね」
「このままなら事務所ボッタクリ」
司会のネプチューン原田泰造さん(42)が、こう紹介してピンク・レディーの給料紹介が始まった。2012年5月26日夕放送のTBS系「サタネプ☆ベストテン」でのことだ。
ピンク・レディーの2人は、76年8月に「ペッパー警部」でデビューすると、またたく間に大ブレイクした。この年は、「S・O・S」もヒットし、翌77年になると、今や伝説ともされる快進撃が始まった。「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」とミリオンセラーを連発し、「UFO」は日本レコード大賞にも輝いている。
あまりに多忙なため、Mieさんは、睡眠時間は毎日1時間半で、いつも微熱が出ている状態だった。
これに対し、1年目の給料は、当時で月に5万円が支払われた。当時の大卒初任給は今の半分ぐらいのため、現在なら、月給10万円というところか。大ブレイクで2年目の月給は3倍増となり、15万円になった。「サウスポー」「モンスター」がヒットした3年目は、さらに増えて30万円に。そして、解散までの4、5年目は、それぞれ150万円、350万円とついに3ケタに達した。
解散までの4年7か月でmieさんが稼いだ給与総額は、約4850万円となる。
話を聞いていたネプチューン名倉潤さん(43)は、驚いた様子でこうまくしたてた。
「このままなら事務所ボッタクリやないか。本当はもっともらっててもいいのかもしれないですしね。そういう気持ちにはならなかった?」
AKB前田敦子は、給料もらいすぎ?
しかし、未唯mieさんは、「まったくならなかったですね」と平然と答えた。ちなみに、所属事務所は、mieさんがソロデビューしてから半年後に倒産している。
ピンク・レディーの給料は、当時としても本当に安かったのか。
事情をよく知るある芸能プロの元幹部は、こう言う。
「確かに、安いですよね。投資に熱を入れるなど事務所が事務所だったこともありますが、あの時代のタレントは、みんな給料が安かった。事務所から見れば、給与制が一番もうかるんですよ。とはいえ、1年目が安いのは仕方ないとしても、2、3年目はもっと上げるべきでしたね」
月給を3、4倍にしてもおかしくないという。現在なら、3ケタのレベルということになる。年収なら、数千万円だ。
mieさんの給与がその後飛躍的に増えたのは、交渉術を身に付けるようになったのと、タレントが権利を主張するようになって芸能界の待遇が改善されたことが考えられるとしている。
現在のアイドルでみると、AKB48のメンバーは、事務所によってバラバラなものの、2ケタの月給はもらっているはずだといい、前田敦子さん(20)や大島優子さん(23)クラスなら3ケタに届いているとみる。
ただ、歌や踊りのレベルは、ピンク・レディーの方がずっと上だという。オーディションもわざわざ地味な服を選んで審査員にアピールするなど、苦労して芸を磨いているからだ。
「AKBの場合は、数でカバーしているだけですからね。1人では満足に踊れず、踊りのフリをするぐらいのレベルですよ」
もちろん、ピンク・レディーとAKBでは芸能グループとしてのコンセプトが異なるので、同列の比較はできない。ただ、メンバーの歌や踊りの力量という面から見た場合、今の一部のAKBメンバーは恵まれているということになるのかもしれない。