東電は原発から「敵前逃亡」しようとした 菅、枝野、海江田の主張はほぼ一致

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   東京電力福島第1原子力発電所の事故について検証を行う「国会事故調査委員会」(黒川清委員長)の参考人聴取が、大詰めを迎えている。その焦点のひとつが、東京電力が現場からの「全面撤退」を検討したかどうかだ。これまでに発表された報告書でも見解が異なっている上、国会事故調で証言した官邸と東電の当事者の主張も、真っ向から対立している。

   問題となっているのが、2011年3月14日夜から15日未明にかけての対応。清水正孝社長(当時)が官邸に全面撤退を電話で打診し、菅直人首相(当時)が清水氏を官邸に呼びつけ「撤退などあり得ない」と激怒したとされる。15日早朝に菅氏が東電本店に乗り込んで政府と東電の事故対策統合本部が立ち上がった。

事故当時は重要免震棟に750人がいた

菅直人前首相は11年3月15日早朝、東電本店に乗り込んだ
菅直人前首相は11年3月15日早朝、東電本店に乗り込んだ

   この全面撤退の検討を、東電側は一貫して否定し続けている。東電が11年12月2日に発表した中間報告書では、

「当社が官邸に申し上げた趣旨は、『プラントが厳しい状況であるため、作業に直接関係のない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため検討したい』というものであり、全員撤退については、考えたことも、申し上げたこともない」

との記述がある。「部分撤退」に過ぎないとの主張だ。

   12年3月14日には、事故当時の原子力部門のトップだった武藤栄・前副社長が、国会事故調の参考人として同様の主張をしている。武藤氏によると、当時は重要免震棟に750人ほどが留まっていたが、2号機の状況が切迫しており、

「750人の人間、全部がそこにいる理由があるかというと、それはないだろうという風に思われた」

としながらも、

「2号機を何とか収束させるということに、みんなが頭を、知恵をしぼっている中で、福島第1の緊急対策本部は当然だが、本店も含めて、ご指摘のような全員の撤退ということは全くなかったと申し上げることができる」

と全面撤退を完全否定した。

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