米軍普天間飛行場の移設問題に大混乱をもたらした鳩山由紀夫元首相が、首相退任後初めて沖縄県を訪問し、再び「県外移設」を唱え始めた。発言が二転三転している形で、「男は恥を知るものだ」といった厳しい声が与野党から続出している。だが、当の沖縄県内からは、意外に鳩山氏を非難する声は少ないようだ。
鳩山氏は政権交代直前の2009年夏には「最低でも県外」を唱えていたが、それから1年も経たない10年5月には、沖縄県庁を訪ねて
「色々努力しているところだが、全てを県外にということは現実問題として難しいということに直面している」
と、選挙時の発言を実現できないことを仲井真弘多知事に謝罪。県庁の周辺は多くの県民に囲まれ、鳩山氏が乗った車に「帰れ!」などと怒号を浴びせた。
「沖縄の皆さんが大好きです」
その鳩山氏が、12年5月15日の沖縄復帰40周年記念式典を前に宜野湾市で行った講演で、「県外移設」に回帰した。
冒頭、鳩山氏は、
「沖縄の皆さんが大好きです」
と友愛精神をアピール。基地問題については、
「風穴を開けたかった。何とか自分のときに、少しでも進めたかった」
と、かつての意欲を振り返りながら、
「『最低でも県外』という気持ち、現在果たすことができておりませんが、その気持ちを果たさなければ、沖縄の皆様型の気持ちを十分に理解したとは言えないぞと。その想いは常に持っているつもりでございます」
と「県外移設」を主張。この思いを実現できなかった理由については、予算編成に忙殺されて基地対策の時間が取れなかったことなどを例に、
「自分の思いが先に立ちすぎて、多くの方を十分に説得申し上げることができなかった」
「考えてみれば無理筋だったのかなぁ、と今から思えばそのような思いはする」
と釈明した。
この発言をめぐっては、中央政界では与野党共通して批判的だ。特に、官房長官として小渕内閣で00年の九州・沖縄サミットの準備に携わった野中広務氏は、
「男は恥を知るものだ。のうのうと沖縄に来て、県民に泥をかけるのか」(読売新聞)
「沖縄県民に泥を塗ったような人が(レセプションの)壇上に上がっていることは、腹わたが煮えくり返る思いだ」(琉球新報)
と吐き捨てた。
だが、沖縄では、それほどの怒りを買っている訳ではなさそうだ。例えば、鳩山氏は講演の中で「県外移設」を主張した後、
「生を受けている身である限り、皆様方の気持ちがさらにもっとわかり合える鳩山になるように努力いたしますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」
と意気込みを述べた。この直後に、会場からは大きな拍手が起きている。
県紙は論評抜きで淡々と報じる
この講演の内容は、沖縄タイムス、琉球新報の県紙2紙も記事にしている。だが、見出しは、
「『辺野古回帰』県民に謝罪」(沖縄タイムス)
「普天間県内回帰を謝罪」(琉球新報)
と、特に発言に批判的なものではなく、逆に、かつての鳩山氏の方針を支持するともとれるものだ。記事本文も論評抜きで発言内容を淡々と伝えている。それどころか、琉球新報では沖縄市在住の70歳男性の、
「(最低でも県外という公約が)個人の発想なのか国の発想なのか、当時は分かりづらかった。今日は彼の信念、沖縄を思う気持ちが分かり、感動した」
との声を紹介。比較的好意的に受け止めている。
県外移設を主張する鳩山氏の意見と、沖縄の世論が重なる部分があるだけに、その分批判が少なくなっている可能性もありそうだ。
なお、琉球新報は、5月16日の朝刊1面に、鳩山氏の単独インタビューを掲載。講演と同様の主張を繰り返した。
「県外移設を掲げたのは当然のことだ。期待を掛けた県民に応えられず、大変申し訳なく思っている」
「防衛、外務官僚はいかに辺野古に戻すかに腐心していた。県外移設はおかしいと、むしろ米側を通して辺野古でないと駄目だという理屈を導いたようだ」