綱渡りのように慎重にうまく話を進めた結果
そして、旧華族のお妃候補の線が実質的には消えた3月上旬以降、お2人は急速に東京のテニスクラブを中心に出会いを重ね、恋愛されるに至った。
お2人のご婚約(1958年11月27日)とご成婚(59年4月10日)は、多くの人がイメージしているような単純な恋愛結婚でもなく、逆に単純な調整された結婚でもない、「責任をもって調整、アレンジされた恋愛結婚だ」というのがぼくの結論です。
民間お妃が誕生する場合、単純な恋愛結婚でも、単純な調整された結婚でも事態はうまく動かない。しかも民間お妃誕生には反対勢力がいる、という微妙な情勢の中、お妃選考首脳らが、皇太子さまのご意向も踏まえながら綱渡りのように慎重にうまく話を進めた結果がお2人のご婚約・ご成婚だと考えます。
そうした「単純な恋愛ではない」という意味で、第2部1回目で話した宇佐美毅・宮内庁長官による国会での「恋愛否定」答弁にはウソはありません。
こうした微妙な情勢を乗り越えることができたのは、田島さんたちのような選考首脳の無私の働きがあったからだと、私はある種の感動を覚えずにはいられません。
皇太子さまのご成婚を単純な「軽井沢テニスの恋」物語で語ることは、こうした歴史の裏舞台で真摯に活動してきた当時のお妃選考首脳の人たちを埋もれさせることになっていると感じています。もっと彼らの活躍に光があたり、若い人たちの間でも少しでも語られ続けるといいなと思っています。
<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています>
<佐伯晋さんプロフィール>
1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞社入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。