相次ぎ同じテニスクラブへ入会
この流れを受けたかのようなタイミングで、黒木侍従は2月に入り、動きを加速させます。
皇太子さまに美智子さまの写真(1957年10月の調布テニスの際に皇太子さまが撮影)を美智子さんに送ったらどうかと勧めたようです。ほどなく皇太子さまは、写真を美智子さんへ送っています。
また、黒木侍従は皇太子さまに「正田さんを調べてみるよう(選考首脳の)小泉信三さんにお願いしたらどうですか」とも助言したようです。これも2月中のことでしょう。皇太子さまは実際に、小泉さんに要請をされました。
さらに、同じ2月には小泉さんの勧めで皇太子さまが、小泉邸近くにある南麻布の東京ローンテニスクラブに入会し、3月には、皇太子さまの学友の紹介で美智子さんが同じクラブに入会しています。
以降、お2人はかなりの頻度でテニスを同クラブを中心に一緒にする間柄になっていきます。このあたりの段取りは、小泉さんらによるお膳立てとみてよいでしょう。
では、この時期の1958年2月、3月あたりで美智子さんが形式的にもお妃候補の本命になったのかというと、まだそうではないのです。
<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています>
<佐伯晋さんプロフィール>
1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞社入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。