「正田美智子さんという方を覚えておられますか」、そう言って「黒木東宮侍従」が皇太子さまに水を向けた――
「お妃選び取材班」担当だった元朝日新聞記者の佐伯晋さん(81)に、皇太子さまがたの「『テニスコートの恋』をめぐる虚実」に関する推理を聞く第2部の2回目は、皇太子さまと美智子さまが初めて軽井沢で一緒にテニスをされる前後の動きについて語ってもらう。
「旧華族」が次々リストから消えていった
前回、ご婚約が決まる1958年の前年、57年の秋ごろから、お妃選考首脳の一部がお妃候補の選考対象を、従来の旧華族から民間にも広げようと考え始めた、というところまで話しました。
「選考首脳の一部」とは、中心メンバーといってよい5人のうち、宇佐美毅・宮内庁長官と黒木従達・東宮侍従の2人だとぼくはにらんでいます。間違いないでしょう。
1957年秋当時、少なくとも表面的にはあくまで旧華族のお嬢さんの線で選考を進めていました。うかつに「民間」の話がもれようものなら、守旧派から大反発をくらうことは明白だからです。
しかし、1955年からお妃選びを本格化させ、旧華族のお嬢さんらが次々とリストから消えていく中、宇佐美長官らは民間にも選考対象を広げる必要を感じたのでしょう。また、皇太子さまご本人も、はっきりとはしないが、「民間」からのお妃がいいのでは、とのお考えをお持ちのようだ、という認識もあったようです。