軽井沢のテニスコートで始まった皇太子さま(現天皇陛下)と美智子さま(現皇后陛下)の恋......漠然とそんなイメージを抱いている人も多そうだ。しかし、お妃選びが最終局面を迎える1958年当時に「お妃選び取材班」担当だった元朝日新聞記者の佐伯晋さん(81)は、「お2人のご成婚が単純な恋愛結婚だった、というイメージは事実と異なる」と考えている。(以下、呼称は当時のものです)
佐伯さんに話を聞く第2部は、皇太子さまと美智子さまのご成婚について、「世間のイメージ通りの恋愛結婚だったのか、それとも周囲によりお膳立てされた『調整された結婚』だったのか」をめぐる佐伯さんによる分析・推理を紹介する。
2002年に出版された本で明らかになった当時のお妃選考首脳の日記資料などを踏まえ、当時の取材経験に照らしながら比較的最近になって佐伯さんがたどりついた結論だ。第2部初回は、皇太子さまの「恋愛結婚」が、当時の国会で問題にされた状況について語ってもらう。
宮内庁長官が国会で「恋愛説」否定
皇太子さまと美智子さまのご成婚に関して、「軽井沢のテニスコートで芽生えた恋」というイメージが定着しているようです。
しかし、皇太子さまご婚約の発表(1958年11月)から、しばらくたった1959年2月6日の衆院内閣委員会で、宇佐美毅・宮内庁長官は、はっきり「恋愛説」を否定しています。ご成婚(59年4月)の2か月前のことです。
宇佐美長官は、自民党の平井義一議員の質問に対し、「世上で一昨年(57年)あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません」と答えています。
1957年に軽井沢でテニスをしたのは事実だと認めた上で、皇太子さまについて、「世上伝わるような浮ついた御態度というものは、(略)全然お認めすることはできません」と「恋愛説」そのものを否定しています。
なぜ「恋愛説」を否定したかというと、当時はまだ、世間一般の感覚としても、まだ「良家の子女はお見合い結婚が当たり前」という空気が濃厚に残っていた時代だったのです。