30年近くたって「まあ、お懐かしい」
――11月27日のご婚約発表後、佐伯さんは翌59年4月のご成婚取材にも関わったのですか。
佐伯 いや、自分でも意識的に正田家と距離を取るようにした。ご婚約発表後、お妃選び班で5回ほど連載をやり、あとは翌年の正月特別版の取材のために少し会った程度。以降は正田家とは年賀状のやりとりをしたくらい。
ぼくの記事を読めば朝日と正田家は近いと思った人は多いだろうから、その関係が続くと考えられるのは、美智子さんにも正田家にも良くないことだと考えたんだ。正田家ルートで朝日に話がもれる、なんて思われると迷惑をかけることになる。
お妃選び班になって約9か月間、正田家と初接触してから半年間やってきたが、自分でも、別の仕事をしたくなってきてもいた。ご婚約から年が明けて1959年2月からは東京の裁判担当になった。
――美智子さまとはその後会われていないのですか。
佐伯 ご婚約発表から30年近くたった1987年の秋、朝日新聞主催の催しに皇太子ご夫妻がお出ましになり、社長以下役員が2階のコンコースに並んで送迎した。役員になったばかりで50代半ばのぼくは、端っこの方でお見送りしていた。
美智子さまは通りすがりにぼくの顔に気付き、つと立ち止まって「まあ、お懐かしい」と、しばらくの間、感慨深げにぼくの目を見つめておられたから、お付きの人を含めたご一行の流れが止まってしまい、ご先導役が慌てている様が見えた。ぼくは、感動しながら「ご無沙汰しております」とお答えしました。お元気そうで安心したのを覚えています。
<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています>
<第1部完::第2部へ続く。2部初回は、5月10日(木曜)の予定です>
(佐伯晋さんプロフィール)
1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞社入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。