先輩記者は報道協定の話を聞き、えらく怒っていた
――新聞各社は11月26日夕刊で「皇太子妃あす決まる」と、美智子さまの名前には触れず、27日の皇室会議の予告を載せます。そして27日夕刊でご婚約決定の記事が一斉解禁となり、お相手として「正田美智子さん」の名前が初めて伝えられました。1面から社会面、写真特設面などと大展開しました。
一方、11月27日の正式発表直前に「週刊明星」(11月23日号)が「内定した!?皇太子妃」と題して、美智子さまのお名前と写真を報じました。11月上旬にニューズウィーク誌が匿名ながらお妃内定を報じたことを指摘し、「新聞社どうしの申合せ(原文ママ)」と、「内定」を報じない報道協定へ皮肉を浴びせました。
佐伯 報道協定問題は、ぼくら遊軍のお妃選び班ではなく、宮内庁クラブの先輩が担当していたから細かい話はよく分からない。1958年11月にご婚約が発表されることになるけど、その年の5月ごろから協定の話が出始め、7月24日に協定が成立した。新聞・テレビ以外にも雑誌の協会も後から協定に入ったと記憶しているが、どうだったかな。11月28日のご婚約発表について、事前に通告がいつあったのかもぼくは分からない。ぼくの正田家取材の過去の経緯の記事は、解禁数日前には準備はできていた。
先輩記者の牧さんは報道協定の話を聞いたとき、えらく怒っていた。他社より早く特ダネを書くつもりで1955年からこつこつ3年もやってきたのに、「そんなの許せん」と機嫌が悪かった。ぼくは、「途中の話が次々新聞に出れば、まとまる話もまとまらんだろう。まあいいんじゃないか」とそんなに深く考えてなかったな。