深夜に正田邸の塀にのぼった記者も
――他社の記者による「潜入」はなかったのですか。また、佐伯さんの「秘密のルート」は他社にバレなかったのですか。
佐伯 11月上旬以降、正田邸近くの民家で電話を借りて冨美さんに「お嬢さんの写真を撮らせてほしい。いま隣にいるから」という電話をかける社も出てきた。冨美さんは撮影には応じず、手持ちの美智子さんの写真を渡すなどの対応を取っていた。深夜に正田邸の塀にのぼった記者もいたようだが、中に入ったという話は聞かなかったな。
もっとも、ある全国紙の記者が「牛乳配達」に化けて正田邸の門内に侵入したらしい、という話などを後になって聞いた。ぼくが「秘密のルート」で邸内に入っていたことはバレていなかったようだ。
――そうした積み重ねが、第1回で出てきた11月26日の「号外特ダネ写真で美智子さまが泣き崩れた」話につながるのですね。
佐伯 そして、いよいよ11月27日のご婚約発表、そして27日夕刊の各社一斉報道、という運びになる。
<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています>
<佐伯晋さんプロフィール>
1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞社入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。