皇太子さまからの「求婚」 家族の一部は反対しているが、「それでも私は」と決意
元「お妃選び班記者」の取材ノートから(8)

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   皇太子さまからの求婚のお申し出をお受けするのかお断りするのか。美智子さまが家族会議の後に流した涙の意味とは――。

   当時「お妃選び取材班」だった元朝日新聞記者の佐伯晋さん(81)に聞く第8回は、最終局面を迎えたお妃選びで、美智子さまや家族の苦悩に寄り添った体験を紹介する。

「正式に(お妃入りを)お断りしました」

佐伯さんが書いた記事「正田家を見つめて六カ月」。
佐伯さんが書いた記事「正田家を見つめて六カ月」。

――前回、1958年9月18日に宮内庁の黒木従達侍従が美智子さまのご実家、正田家を訪れ、お妃入りを要請した話を伺いました。佐伯さんは同じ日に美智子さまの母冨美さんの話から、直接的ではないながらも、大きな動きがあったことを感じ取ることができたということでした。取材班にその旨、報告した際には大騒ぎでしたか。

佐伯 正直よく覚えていない。というのも、いくらお妃選考首脳らが正田家へ申し込んでも、本人や家族が断ればその話は終わってしまう。ぼく自身、どうも正田家は断る公算が大きそうだなと、まだ思っていた。するとまた次の別の候補を探さないといけなくなる。この9月の段階でもぼくらのお妃選び取材班は、旧子爵の令嬢だのなんの、とほかの候補者つぶし作業も並行していた。

――まだマスコミ他社の影は感じていなかったのですか。

佐伯 美智子さんが候補のひとりに挙がっている、という話はつかんでいて、皇太子さまと美智子さんがテニスをするところを1958年夏ごろ、写真に撮るなどしていたところは何社かあった。ただ、本命は別の旧華族と思っていたようで、正田家や美智子さんへの接触を図っているところはなかったと思う。
   10月9日ごろ、まだ美智子さんが外遊中の頃だけど、冨美さんと正田邸で会ったとき、「正式に(お妃入りを)お断りしました」と話してくれた。また某全国紙のS記者が「この間取材に来た」が、玄関先で帰ってもらったとも話した。ぼくとしては「ようやく(他社が)来たか」と思った。冨美さんとは電話でもよく話すようになっていたので、他社が来たからといってあせりは全く感じなかった。この頃以降、通信社を含め、複数の社の動きが出てくる。
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