お妃選びに触れると「そのお話はダメ」
――どんな質問をしたのですか。
佐伯 いきなりお妃選びの本題、というわけにもいかず、大学の卒論は何をおやりになったのですか、と当たり障りなく切り出した。大学を卒業して間もない頃だし。すると、英文学のジョン・ゴールズワージーをやったという。1932年にノーベル賞を取った人だ。日本ではあまり知られている作家ではなかったが、たまたまぼくは文学好きの伯父の家で、彼の「フォーサイト家年代記」を読んだことがあって、それで話が少し盛り上がった。
5分ぐらいの雑談の後、ズバリ聞いてみた。「軽井沢だけでなく、東京のテニスクラブでも皇太子さまとテニスを一緒にしていると聞いているが、皇太子さまとはどういう......」と切り出すと、ここで「そのお話はダメ」と、冨美さんが右手を美智子さんの顔に近付けるようにして制止した。「あなたはもう失礼してお部屋へ上がりなさい」と。まるでヒナをかばう親鳥だな、という感じだよ。美智子さんはニッコリして立ち上がり、おじぎをして静かに出て行ってしまった。
――厳しい展開ですね。佐伯さんはその後、追い出されたのですか。
佐伯 いやいや、その後冨美さんと1時間ばかり話し込むことになった。実は、美智子さんに会わせてもらえることが決まった8月13日からその日(31日)までの2週間強の間に、大きな状況の変化が起きていたんだ。冨美さんは、新聞記者に聞きたいことがたくさんある様子だった。
<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています>
(佐伯晋さんプロフィール)
1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞社入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。