記者の取材が事態進展の「触媒」になった?
――それでは、その2つの重要な会議の間の5月20日に、ちょうど佐伯さんによる正田家との初接触があったわけですね。
佐伯 そうなんだ。実はぼくが英三郎さんと会った翌日の5月21日には、正田夫妻は、面識が少しだけあった小泉さんに面会を申し入れ、5月22日に会っている。
5月当時、すでにお妃選考の線上に美智子さんが浮かんでいるという噂は正田夫妻の耳に入っていた。しかし、噂レベルを根拠にまさか小泉さんに「うちの娘はお妃候補なのですか」とも聞けない。そこに朝日新聞記者のぼくが「有力候補だと聞いている」と取材に来たわけだ。実はこっちには詳しい情報はなく、はったりもまじった取材だったけど。
これは正田夫妻にとっては、小泉さんに質問するいいきっかけになったようだ。しかし、5月22日の場では小泉さんは、「そんなことはない」というニュアンスで答えつつ、完全否定はしない、というあいまい戦術をとったようだ。正田夫妻はどう解釈していいか分からず途方に暮れて帰ってきたと、ほどなくして秘書の岩城さんからぼくは聞いている。
小泉さんにとっても、正田家に関する周辺調査は興信所などを通じてすでにかなり重ねていたが、両親に会って直接、聞きたいこともあったようだ。縁談話の有無とかね。
こうした情勢からみると、ぼくが知らないうちにぼくの取材が触媒となって、正田家とお妃選考首脳らとの間に連絡を取り合うチャンネルを開いた形だ。事態の進展にぼくが一役かったのかなあ、という気がしている。
<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています>
(佐伯晋さんプロフィール)
1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞社入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。