お2人がときおり一緒にテニスをしていることが判明
佐伯 この写真の話はともかく、年が明けて1958年の2月以降、皇太子さまも美智子さんも東京の同じテニスクラブに順次入会し、ときおり一緒にテニスをしていることも岩城さん情報で分かった。
しかし、クラブ入会の話を知ってもぼくたち取材班の認識はまだ、岩城さん情報について「皇太子さまの恋人現るだな」と軽口をたたく程度だった。まさか民間からお妃とは......と半信半疑だった。ぼくだけは6割ぐらい、「民間からお妃」の可能性を信じ始めたというレベルかな。
――佐伯さんたち取材班はまだ手探り状態で、美智子さま情報もキャッチしたものの、まだ「入り口」といった印象ですね。美智子さま側も情報を知りたがっている段階。実際、お妃選びの客観情勢は、当時どこまで進んでいたのですか。
佐伯 当時は分からなかった。随分あとになって判明した話だけど、結論から言うと、1958年の5月2日の宇佐美毅・宮内庁長官邸会議で、お妃候補は美智子さんにほとんど一本化するという流れになっていた。あとは詰めの調査が必要だと。そして6月21日に、前に出てきたお妃選び首脳の小泉信三氏邸で選考首脳会議があり、大勢は美智子さんで行こうと決まっている。