美智子さまご実家と接触に成功 偶然重なった結果だった
元「お妃選び班記者」佐伯晋さんの取材ノートから(4)

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   「君が最初にもってきた情報だから、君がすぐ正田家をあたってくれ」。膨大なお妃候補リストを1件1件つぶす、という地道な作業を先輩記者たちと続けていた「お妃選び取材班」だった元朝日新聞記者の佐伯晋さん(81)が、後に皇太子妃となる美智子さまのご実家、正田家の家族と直接会って話ができるようになったのは、いくつかの偶然が重なった結果だった。

   佐伯さんに聞く第4回は、正田家との初の接触に至る経緯を聞く。

「本人は英語ができて美人」情報が入る

日清製粉グループ本社は現在、東京都千代田区の神田錦町にある。
日清製粉グループ本社は現在、東京都千代田区の神田錦町にある。

――前回の話で出てきた1958年5月に入ってきた「脈のある」情報とは、どんな話だったのですか。

佐伯 5月11日、取材先にしていた都内のS夫人から「家へいらっしゃいよ」と電話があって翌日の日中に行ってみた。すると学習院出身のS夫人は「(お妃有力候補は)残念ながら学習院(出身者)じゃないのよ」と話し出し、「父親は、財閥系ではない実業家」「本人は英語ができて美人」という話が関係者の間で出ていることを教えてくれた。
   このS夫人というのは、元華族。年ごろの娘さんがいたので4月に「リストつぶし」取材の一環で自宅を訪れた。S夫人は、学習院女子中等科・高等科の同窓会「常磐会」に入っていて、しかも噂話好きだった。常磐会は元華族もたくさんいて、皇太子妃選びに隠然たる影響力をもっていた。S夫人のお嬢さんたちの線はないな、となったけど、取材源として、当時麻布で有名だったクッキーなんかをお土産に持って、ときどき話を聞きに行っていた。
   5月16日、キャップの牧さんも別の旧華族、K夫人から同じような情報を聞いて、しかも少しプラス要素もあった。牧さんが編集局の一室に1時間ばかりこもってリストと照合した結果、ノートを手にして部屋から出てきて「あった、あった。これ以外ねえよ」と言った。ノート上に指さした先を見ると、「正田美智子」と書いてあった。日清製粉の正田英三郎社長の長女で聖心女子大出身、当時23歳だ。ノートには家族関係など簡単な情報が添え書きされていた。
   さらに牧さんは、「君が最初にもってきた情報だから、君がすぐ正田家をあたってくれ」とも指示した。たまたまK夫人情報よりもS夫人情報をぼくが早く聞いてきたからこうなった。両夫人とも情報源は常磐会だから、ぼくと牧さんの聞き出す順番が逆になってもおかしくなかったし、そうだったらぼくが正田家を担当することもなかったろう。
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