「何を言うか!」とどなりつけられる
佐伯 ノートには3月15日に「プロテスト(反乱)」と書いている。牧さんに対し、「こんな原始的なやり方じゃなくて、もっと頭脳的な取材をすべきだ」ってな調子で、この時だけでなく何回か、仕事の後飲みながらだったり打ち合わせ中だったりに、抗議したんだ。
すると牧さんは、昔の軍隊の下士官みたいに「何を言うか!」とかぼくらをどなりつけるんだ。激怒してねえ。それでも少し折れてくれて、ほどなく朝駆けは1日置きでもよい、ということになった。
と、安心していると牧さんはほどなく、「宇佐美のところを回らない日は田島を追っかけろ」と言い始めた。参ったね。
――3月15日の「プロテスト」以降、取材に動きが出始めたのはいつですか。
佐伯 5月上旬には幹部らへの「朝駆け」は立ち消えになった。張り込みと並行して毎日実施していた「お妃候補のリストつぶし」の作業の方が忙しくなってきた。しかも、5月上旬に「脈のある」情報がぼくのところへ飛び込んできたんだ。
<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています>
<佐伯晋さんプロフィール>
1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞社入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。