朝駆け取材で異変をキャッチ 宮内庁長官がいつもと違う方向へ
元「お妃選び班記者」佐伯晋さんの取材ノートから(3)

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自宅の表札に「田島」と書いてあった

佐伯 その田島日記によると、この3日の会議の時間について「18時から23時」と書いてあった。ぼくのメモとほぼピッタリ合っている、というかぼくのメモの方が正確なはずだけど。
   ただ、1958年3月の当時は会議の中身なんてさっぱり分からない。知らない顔が小泉邸から出てきたので車で目黒まで追跡したら、自宅の表札に「田島」と書いてあった、というレベルだった。この田島さんというのは、宇佐美さんの前の宮内庁長官だった、カギを握る人物の1人だとほどなく分かった。先に引用した「田島日記」をつけていた人だ。

――なるほど。そんな隠密会議が分かったという成果が出てしまったがために、第2回インタビューで出てきた「朝駆け中止の談判」ができなくなってしまったのですね。

佐伯 しばらくは言い出せない雰囲気になってしまった。しかし、会議があったことを突き止めても、会議の内容を関係者はまったく話そうとしない。ぼくと岡くんは、「やっぱり張り込みは意味がない」という気持ちにすぐに逆戻りした。
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