【置き去りにされた被災地を歩く】最終回・宮城県気仙沼市
被災者がガイドになって「応援ツアー」 今も「津波の跡」生々しく

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復興目指すも人口の減少が気がかり

市内には仮設の飲食店街「復興屋台村」が点在している
市内には仮設の飲食店街「復興屋台村」が点在している

   気仙沼市内を4時間ほどめぐってみたが、がれきは相当量が撤去されている代わりに、空き地になってしまった土地が広がって寒々しい印象だ。「復旧・復興」の旗印の下、気持ちを前向きにして希望を見いだそうとする人は少なくないが、同時に心配も消えない。佐々木さんは「住人が減っているのが気になります」と表情を曇らせる。

   震災前の2011年2月、市の人口は7万4247人だった。だが12年2月は6万9986人と、1年前に比べて約5.7%、4261人の減少となっている。震災の犠牲者や、移転せざるをえなかった市民もいるだろうが、街の再建や経済の活性化を目指すうえで人口が減っているのはマイナスだ。タクシーの運転手も「乗客が少なくて困った」とぼやく。

   大きな被害を受けた気仙沼は、主要メディアでも取り上げられる機会が多く、その意味では「置き去りにされた被災地」ではないかもしれない。しかし気仙沼観光コンベンションセンターの担当者が「震災の記憶が人々から忘れられ、風化してしまうのが怖い」と話すように、たとえ今は注目されていても、年数がたつにつれて「置き去り」になってしまう恐れもある。

   記者が気仙沼を訪れる前日の3月14日には、三陸沖でマグニチュード6.8の地震が起き、北海道と青森県で津波を観測した。震災から1年は「区切り」かもしれないが、地震と津波の脅威はこれからも続く。東日本大震災の被災地と被災者の苦しみ、教訓を決して「置き去り」にしてはならない。

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