【置き去りにされた被災地を歩く】最終回・宮城県気仙沼市
被災者がガイドになって「応援ツアー」 今も「津波の跡」生々しく

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「観光して支援」地元の反応はさまざま

佐々木さんが地震発生時に泳いでいたプール。周囲の建物の多くは津波で破壊された
佐々木さんが地震発生時に泳いでいたプール。周囲の建物の多くは津波で破壊された

   こうした「応援ツアー」は、別の被災地でも行われている。岩手県の三陸鉄道は「フロントライン研修」という視察ツアーを企画した。企業や団体に向けて、現地を訪問することにより被災地への理解促進をねらう。宮城県石巻市でも、旅行会社のツアーに地元の観光ガイドが沿岸部を案内する。

   いずれも団体が対象で、気仙沼のように個人旅行者でもガイドを受け付けているところは珍しい。ガイドひとり当たり1時間1500円で、気仙沼観光コンベンション協会を通して申し込む。タクシー代など経費は客側の負担になるが、震災1周年の前後は予約でいっぱいになったという。

   被災者を支援したいのは山々だが、ボランティア作業となると「何ができるか分からない」「かえって足手まといになったら迷惑になる」と二の足を踏む人もいるだろう。津波で多くの犠牲を出した場所に「観光」で訪れるのは不謹慎ではないかとの考えもある。そんな人たちも「応援ツアー」なら参加しやすい。

   気仙沼観光コンベンション協会は、「被災地を自分の目で見て、復興していく様子を実感してもらうためにも、お越しいただくことが支援のひとつになると考えています」と話す。

   佐々木さんの場合は、もっと自然体だ。訪問者を拒む気は全くないが、「積極的にどんどん呼び込みたい」というわけでもない。気仙沼に来たいから来るという人に対してはできるだけもてなしたい、という姿勢だ。半面、多くの命が奪われた場所で「あまりはしゃいでいる人を見ると『うーん』という気持ちになります」と心情を吐露する。

   地元の人の反応もさまざまだ。プレハブの仮店舗の飲食店が並ぶ「復興屋台村」で出会った人は、「多くの人に来てもらって、お金を落として行ってほしい」と正直に「経済効果」を期待する。一方で、肉親を亡くした人は、素直に観光客を受け入れられる心の余裕があるだろうかと指摘する声もあった。

   再びタクシーを拾って、向かった先は鹿折(ししおり)地区だ。2011年3月11日の夜、ニュース番組は、街全体が炎に包まれる気仙沼の衝撃的な映像を流し続けた。その大火災がもっともひどかったのがこの地区だと佐々木さんは説明する。

   積み上げられた鉄くずは、焼けただれて赤茶けている。今や津波の「シンボル」として扱われている大型巻き網漁船「第18共徳丸」は巨大な船体を陸上にさらしたままで、佐々木さんの説明を受けている間にも2、3人の男性が交互にやってきてカメラにその姿を収めていた。

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