【置き去りにされた被災地を歩く】第5回・埼玉県久喜市 
内陸部の液状化、住民も驚いた 元は田んぼ、「再発対策」が急務

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   東日本大震災で千葉県浦安市をはじめ多くの地域で液状化現象が起き、住民に多大な被害をもたらした。

   関東地方では、千葉県や茨城県の沿岸部の埋め立て地だけでなく、内陸の地域でも液状化の被害が広がった。そのひとつが、埼玉県久喜市の南栗橋地区だ。震災から1年が過ぎて、現地はほぼ復旧したようだが、「再液状化」の対策までには至っていなかった。

造成の工法同じでも一部だけ液状化の不思議

液状化により、南栗橋の住宅地では地中から大量の砂が噴出した(写真提供:久喜市)
液状化により、南栗橋の住宅地では地中から大量の砂が噴出した(写真提供:久喜市)

   久喜市がウェブサイト上で公表している南栗橋地区の液状化被害の状況によると、東武日光線・南栗橋駅西口側に集中している。2012年3月中旬、記者は都心から1時間15分ほどの現地を訪れた。

   駅から歩いておよそ10分、グラウンドが広がる「スポーツ広場」を抜けると、一戸建てが並ぶ新興住宅街が見えてくる。最も大きなダメージを受けた「南栗橋12丁目」を中心に歩き回ってみたが、液状化の際に水や砂が噴き出した道路や傾いた電柱、路面のひび割れなどはすべて補修された後で、道路はどこもきれいに舗装されていた。

   ここで本当に液状化が起きたのだろうか。ちょっと信じられない感じだ。通りがかりの住民に話を聞くと、「周辺の復旧工事はほとんど終わっているみたいです」「今は、日常生活の面で支障はありません」と答えた。

   ただ細かく見ると、確認できた数は少なかったが、今も改修中の家屋は見られた。駐車スペースにブルーシートが敷かれ、セメントなどを運搬する一輪車や工事現場で使われる赤い「コーン」が置かれている。市が保有する「スポーツ広場」でも、一部の建物の修理が続いていた。

   かつてこの地には水田が広がっていた。1983年、旧栗橋町(2010年3月、久喜市に合併)が「豊田土地区画整理事業」として工事を開始し、99年に完了した。施行区域は148.5ヘクタールに上る。久喜市都市計画課に取材すると、施工にあたっては近くにある調整池のしゅんせつ工事の際に発生した大量の砂を使用したと説明する。水田だった土地の上に、砂を敷き詰めて埋め立てたのだ。軟弱な土地に砂地と、液状化発生の「条件」に合致している。

   不思議なのは、造成地全域で同じ施工方法を用いたにもかかわらず、液状化は一部の場所でしか起きていない点だ。担当者も首をひねりつつ、「原因究明を進めています」と話す。

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