東日本大震災が発生した2011年3月11日、震源となった三陸沿岸から遠く離れた福島県中部・須賀川市にあるダムが決壊した。大量の水と土砂が川を一気に下って1キロほど下流の集落を襲い、犠牲者が出た。
震災によるダム決壊は、この1件のみ。なぜこのダムだけ、大きな災害につながったのだろうか。
道路がごっそり崩れ落ちたままの決壊現場
震度6強を観測した須賀川市では、400棟以上の住宅が全壊し、道路や橋、農業施設など広範囲にわたって損害が出た。市役所の本庁舎も地震で使用不能となり、2012年3月中旬の時点では6か所に分散して業務を遂行していた。
特に深刻な犠牲をともなったのが、死者7人、行方不明者1人を出した藤沼ダムの決壊だ。市の中心部から車で30分ほどの山間部にあるダム湖は地震直後に堤が崩れ、多量の水と土砂がなだれを打って下流域に押し寄せたのだ。
藤沼ダムは1949年に竣工。かんがい用の貯水池として、堤高18.5メートル、堤頂長133.2メートルとダムとしては比較的規模が小さい。例えば堤高日本一は黒部ダム(富山県)で186メートル、堤頂長日本一は大谷内ダム(新潟県)の1780メートルだ。比べると、藤沼ダムの規模が分かる。このため、貯水池やため池で多く用いられる「アースダム」という、台形状に盛り土をして築く「シンプル」な工法をとった。「古事記」や「日本書紀」にも登場すると言われる狭山池ダム(大阪府)もアースダムだ。
記者は2012年3月14日、須賀川市農政課の協力を得て現地に入った。ダムのある地域の山道を車で上っていくにつれて雪が深くなる。ダム湖が姿を現すと、小規模とはいえかなり広大な印象を受ける。本来であれば満々とたたえられているはずの水はすべて流れてしまったため、湖底は土がむき出しになり、その上に雪が降り積もっていた。
さらに進むと、今度は「工事関係者以外立ち入り禁止」の看板が見える。車を止め、降りてみて息をのんだ。前方につながっているはずの道路が、ごっそり崩れ落ちたままになっている。ここが決壊場所だ。注意深く近づいて下流方面を見下ろすと、周りの木々がなぎ倒されている。湖底には、堤の盛り土部分を補強していたアスファルト舗装や棒状のコンクリートが、横倒しになったり土に突き刺さったりして何とも無残だ。