その名は「60年代」の別名
吉本さんは1924年、東京の下町生まれ。実家は小さな工場を経営していた。米沢高等工業を経て、47年、東京工大卒。もともと文学に関心があり、戦後まもなく詩誌「荒地」に参加。勤め先の工場を組合運動で追われたたあとは、大学の恩師(数学者の遠山啓氏)の紹介で特許事務所に勤めながら思索・評論活動を続けた。
20歳で敗戦を迎えたことで大きな衝撃を受け、あらゆる「擬制」から「自立」を目指すという姿勢にこだわった。とりわけ既成左翼や、関連する大衆運動に手厳しかった。60年代は「擬制の終焉」(62年)、「言語にとって美とは何か」(65年)、「共同幻想論」(68年)などの問題作を立て続けに発表し、高橋和巳、埴谷雄高氏らとともに特に全共闘世代に影響力をもった。
「60年代に青春を過ごしたものの多くにとって、その名は時代の別名だろう」と、評論家の三浦雅士さんは「朝日人物事典」で書いている。
文学、思想のみならず、民俗学、宗教、精神病理学など幅広い領域をカバーし、独自の思考を続けた点でも際立っており、80年代に入ってからテレビはもちろん、アニメ・マンガなどのサブカルチャーなどについても積極的に論評し、話題になった。